「ドリール度」の版間の差分

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彼は[[ピョートル1世|ピョートル大帝]]によりロシアに招かれた。1732年に流体として[[水銀]]を使った温度計を作った。ドリルは、沸騰水の温度を固定ゼロ点とし、水銀の収縮する方向に(低い温度に向け)増える尺度を持つ目盛を選んだ。[[摂氏]]目盛も元は同様に、水の沸点をゼロ度とし凝固点を100度としていた。これは、彼の死後しばらく経って後の、セルシウスが使っていた温度計の多くを製造していたスウェーデンの実験器具製造者ダーニエル・エークストレーム({{lang-sv-short|Daniel Ekström}})の主導による現代的な順序とは逆であった。
 
ドリール温度計は通常[[サンクトペテルブルク]]の冬にふさわしい2400の目盛りを持っていた。1738年にドイツ出身の医学・解剖学教授ヨージアス・ヴァイトブレヒト(ヨーシヤ・ヴェイドブレフト, {{lang-de-short|Josias Weitbrecht}}, {{lang-ru-short|Иосия Вейтбрехт}}, 1702 - 47)はドリール温度計を水の沸点を0度、凝固点を150度とするよう再較性した。ドリール温度計はロシアで約100年の間だけ使われた。

{{temperature}}
ドリール度Deと摂氏度Cの関係は以下の通り。
 
: <math>De = \frac{3}{2}(100 - C)</math>
: <math>C = 100 - \frac{2}{3}De</math>
 
{{temperature|De}}
{{温度の単位の比較}}