「連合国暫定当局」の版間の差分

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== 政策 ==
国防総省から統治を引き継いだ当局代表ジェイ・ガーナーは、イラク国家運営にはフセイン政権下で要職にあった旧[[バアス党]]員や[[スンナ派]]勢力の協力が不可欠と考え、戦犯を[[サッダーム・フセイン]]一族と側近にとどめて、しばらくはフセイン旧バアス党体制を維持したまま、ゆっくりと改革していこうと考えていた。しかし、進的な体制変革を望む求める[[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ政権]]や国防総省、イラク国内の[[シーア派]]や[[クルド人]]勢力はガーナーの方針に反発、彼は1か月で解任され、後任には米国の重鎮[[ヘンリー・キッシンジャー|キッシンジャー]]の下で学んだ若手のポール・ブレマーが抜擢された。彼は[[第二次世界大戦]]後に日本に置かれた[[連合国軍最高司令官総司令部]]の[[ダグラス・マッカーサー]]に匹敵する地位を得たと評されていたが<ref>Kakutani, Michiko (12 January 2006). "A View From the Center of the Iraq Maelstrom". New York Times. Retrieved 8 December 2013.</ref>、ブレマー自身は[[ドイツ]]の[[バイゾーン]]管理者だった{{仮リンク|ルシアス・クレイ|de|Lucius D. Clay|en|Lucius D. Clay}}(Lucius D. Clay)と比較していた<ref>Bremer, L. Paul (2006). My Year in Iraq: The Struggle to Build a Future of Hope. Simon & Schuster. ISBN 978-0743273893.</ref>。
 
彼は就任すると、本国や国内勢力の意を受け、元バアス党員すべてを[[公職追放]]した。官公庁職員・警察官・消防士・軍人など、フセイン時代からの公務員は概ねバアス党に登録していた為、これらの人材が武装勢力に加わる結果となった。また、公職や高級な職種についていたのはサッダームに厚遇されたスンナ派に限られていた為、これらを追放すると、失業したスンナ派住民と、それまでの抑圧の恨みを持ったシーア派・クルド人の軋轢が増し、過度な衝突を招いた。国家運営は、連合軍や連合国の人材が当初から少なすぎたことが災いし、各宗教・民族勢力が自治組織を運営して勢力を拡大した。当局はクルド人の自治権を大幅に拡大したが、クルド自治区はイラク軍とは別の武装組織が治安維持を行い始め、治安は良いものの、半独立国の様相であり、クルド人組織も独立を望んでいるが、大量のクルド人を抱える周辺諸国は危機感を募らせた。