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{{出典の明記|date=2016-08-03}}
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|ja_name = ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々(シチリア島南東部)|
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[[画像:San Domenico church02.jpg|thumb|240px250px|right|サン・ドメニコ聖堂]]
'''ヴァル・ディ・ノートの後期バロック様式の町々'''(ヴァル・ディ・ノートのこうきバロックようしきのまちまち)は、[[イタリア]]の[[シチリア島]]の東南部にある[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]登録物件名。
 
== 概要 ==
シチリア島の東南部にある8つの町、[[カルタジローネ]]、[[ミリテッロ・イン・ヴァル・ディ・カターニア]]、[[カターニア]]、[[モディカ]]、[[ノート (イタリア)|ノート]]、[[パラッツォーロ・アクレイデ]]、[[ラグーザ]]、[[シクリ]]の街並みが世界遺産に登録されている。登録を受けた2002年でも、これらの町は約120,00012万人の居住者を生きた街並みである。
 
これらの町は中世前半に形成され[[城]]や[[教会]]を中心に発展した。しかし[[1693年]][[1月9日]]および[[1月11日]]に発生した[[地震]]では93,0009万3千人の死傷者をし、これらの町は壊滅的な打撃を受けた。地震の後、地元の貴族らの働きにより[[バロック建築|後期バロック様式]]で統一された建物で町築かれ、町は再建された。
 
ヴァル・ディ・ノートとは、シチリアの古い行政区分ヴァッロ (Vallo) 1つを指している。
 
== ノート ==
ノートの町は、古い町を完全に放棄し、南に約10kmの場所にある丘の上に新たに建築されることになった。ノートには、モンテヴェルジネ聖堂、サン・ドメニコ聖堂など、バロック建築の傑作も残る。街中の住宅のバルコニーには空想の動物や女性像などの彫刻が施され、バロック様式を象徴し、さながら町全体が美術館の様相である。また地震前のノートの町の遺構も残っている。
[[画像:San Domenico church02.jpg|thumb|240px|サン・ドメニコ聖堂]]
 
== ラグーザ ==
ラグーザは古くはイブラ (Ibla) と呼ばれた町である。深い渓谷に区切られた3つの丘の上にある町である。
 
地震後、同じ場所で町の再建が計画され、9つの主な教会と7つの主な貴族邸宅を含む建物がバロック様式で建設。統一した街づくりがなされた。
 
== 登録基準 ==
{{世界遺産基準|1|2|4|5}}
 
{{イタリアの世界遺産}}
 
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[[category:バロック建築]]
[[category:世界遺産 あ行]]