「近鉄大阪線列車衝突事故」の版間の差分

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これにより死者25名(1400Nの運転士・車掌と東青山駅助役の計3名含む)、重軽傷者227名<ref>[[ジェー・アール・アール]]発行の「決定版 近鉄特急」([[1985年]]発行)では死者は同じく25人であるが、重軽傷者は288名との記述もある。</ref>を出す大惨事となった。
 
対処した助役や乗務員が死亡したため、助役や運転士から[[事情聴り調べたり逮捕]]することも物理的にできなかったことから、供給コックをカットしたまま運転士が運転室に戻った理由や、手歯止めを外すに当たって運転士と助役の連絡状況などは解明できなかった。
 
なお、京都・難波行き列車は先頭5両が難波行き編成であったが、折しも京都で行われることになっていた医療関係者の学会のため、医師が後部の京都行き編成(18200系2両)に多数乗車しており、その医師等により応急治療が行われた。その模様は、事故現場に唯一直接辿り着くことのできた報道機関であった[[日本放送協会|NHK]]の[[テレビ]]取材[[クルー]]によって、全国に伝えられた。