「仮名垣魯文」の版間の差分

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[[File:Kanagaki Robun.jpg|thumb|180px|right]]
[[Image:仮名垣魯文の墓.JPG|thumbnail|300px|魯文の墓(東京都台東区谷中の永久寺)]]
[[Image:仮名垣魯文の碑(茅ヶ崎市).jpg|thumbnail|300px|魯文の碑(神奈川県茅ヶ崎市萩園の三島神社)]]
'''仮名垣 魯文'''(かながき ろぶん、[[1829年]][[2月9日]]([[文政]]12年[[1月6日 (旧暦)|1月6日]]) - [[1894年]]([[明治]]27年)[[11月8日]])は、[[江戸時代|江戸]]末期から[[明治]]初頭にかけての[[戯作者]]、[[新聞]]記者。[[江戸]]の[[京橋 (東京都中央区)|京橋]]生まれ。本名は'''野崎文蔵'''、字は能連、幼名兼吉、また庫七、後に文蔵と改めた。別号に'''鈍亭'''、'''猫々道人'''(みょうみょうどうじん)、'''和堂開珍'''、'''英魯文'''、'''戯作書太郎'''、'''野狐庵'''。俳号は香雨亭応一、狂名は斜月窗諸兄。父は魚屋を営んでいた佐吉。
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==生涯と作品==
===戯作文学===
[[花笠文京|花笠魯介文京]]に師事。1849年(嘉永2年)に名弘めの[[摺物]]を配って、戯作者となった。その後巻物の草双紙や滑稽本数十を著し、[[安政]]年間には名を為し、1860年([[万延]]元年)『滑稽富士詣』は出世作となった。筆名は初め「英(はなぶさ)」または「鈍亭」としていたが、1873年(明治6年)に仮名垣魯文とした。師の魯と文の字を取って「魯文」、「仮名垣」は、[[柳亭種彦]]の『正本製』三編、『当年積雪白標紙』の登場人物、赤本入道仮名垣による([[歌川豊国]]による入道の挿絵と魯文の顔とが似ていたため)。[[山々亭有人]]たちと三題噺のグループ「粋狂連」を結成し、作品でも[[落語]]から取ってきた笑いを使っている。明治になって[[十返舎一九]]の『[[東海道中膝栗毛]]』をもじって、[[滑稽本]]の手法で、[[福沢諭吉]]『[[西洋旅案内]]』『[[世界国尽]]』を種本にした『[[西洋道中膝栗毛]]』や、『安愚楽鍋』が代表作。[[南総里見八犬伝|八犬伝]]を小形読み本に引き直した『仮名読八犬伝』、福澤諭吉の科学入門書『[[窮理図解]]』をもじった『胡瓜遣(きゅうりづかい)』などの作品もあり、[[明治維新]]によって江戸以来の戯作文芸に批判的な風潮が生まれる中で、プロの[[小説家]]として活動した数人のうちの一人。その後も江戸式[[合巻]]で『松飾徳若譚』などを出版。
 
[[1872年]](明治5年)に[[教部省]]から「[[三条の教憲]]」が出され、愛国や実学志向を小説で表現するようにと命じられると、[[条野採菊]]と共に「[[著作道書き上げ]]」と称する文書を提出した。1874年に『[[横浜毎日新聞]]』の雑報記者となり、翌年[[横浜]]で自ら『仮名読新聞』を創刊。その後書肆磯部屋などを資本主として東京に移した。芸妓の内幕についての記事「猫々奇聞」が喜ばれ、新聞で劇評を載せたことの嚆矢でもあった。平仮名中心の紙面は、後の口語体新聞の先駆けとなった。次いで『いろは新聞』社長。1884年『[[都新聞|今日新聞]]』創刊し主筆となる。
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1894年没、戒名は'''仏骨庵独魯草文居士'''、[[谷中 (足立区)|谷中]]の永久寺に葬られた。門人に、二世花笠文京(渡辺義方)、採霞園柳香(広岡豊大郎)、胡蝶園わかな(若菜貞爾)、蘭省亭花時(三浦義方)、二世一筆庵可候(富田一郎)、野崎左文、[[斎藤緑雨]]がいて、当時の新聞小説家は大きくこの仮名垣派と、[[高畠藍泉|柳亭種彦]]の門流の柳亭派に二分されていた。野崎左文の書いた伝記「仮名反故」(『列伝体小説史』所収)がある。
[[Image:仮名垣魯文の墓.JPG|thumbnail|300px|魯文の墓(東京都台東区谷中の永久寺)]]
 
===その他の仕事===
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==参考文献==
*{{Cite book|和書|editor=[[石川巖]]撰|year=1927|title=明治初期戯作年表|series=書物往来叢書 別輯|publisher=從吾所好社|ref=石川1927}}({{Cite book|和書|editor=[[日本文学研究資料刊行会]]編|year=1982|month=6|title=日本近代文学の書誌 明治編|series=日本文学研究資料叢書|publisher=有精堂|pages=pp. 1-80|isbn=4-640-30099-9|ref=日本文学研究資料刊行会1982}})
*[[興津要]]「落語と日本文学」(『古典落語(下)』講談社 1972年)
*{{Cite book|和書|author=興津要|authorlink=興津要|year=1993|month=6|title=仮名垣魯文 文明開化の戯作者|series=有隣新書46|publisher=[[有隣堂]]|isbn=4-89660-112-2|ref=興津1993}}
*{{Cite journal|和書|author=山口順子|authorlink=山口順子|year=2009|month=10|title=仮名垣魯文とハンセン病の啓蒙――「綴合於伝仮名書」の上演をめぐって――|journal=メディア史研究|issue=26|pages=pp. 23-44|publisher=ゆまに書房|issn=1343-8107}}