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官職位階履歴
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'''足利 満詮'''(あしかが みつあきら、[[吉野朝廷|南朝]]:[[正平]]19年/[[持明院統|北朝]]:[[貞治]]3年[[5月29日 (旧暦)|5月29日]]([[1364年]][[7月6日]]) - [[応永]]25年[[5月14日 (旧暦)|5月14日]]([[1418年]][[6月29日]]))は[[室町時代]]の[[武将]]・[[権大納言]]。[[室町幕府]]第二代将軍・[[足利義詮]]の四男。母は[[紀良子]]。三代将軍[[足利義満]]の同母弟にあたる。幼名は乙若丸。小川殿と称される
 
== 生涯 ==
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満詮の室に[[藤原誠子]]があり、一子[[持円]]を産んだが、義満はまだ満詮存命中の応永13年にこれを召し出して、同年一子[[梶井義承|義承]]を産ませている。生涯を通して破天荒な女性関係を持ち続けた義満と、常に兄に従順であった満詮との対照的な生き様を物語るエピソードである。
 
== 官職位階履歴 ==
※日付=旧暦
 
*[[1376年]]([[天授]]2年/[[永和]]2年)1月8日、従五位下に叙す。
 
*[[1380年]]([[天授]]6年/[[康暦]]2年)2月18日、左馬頭に任官。
 
*[[1387年]]([[元中]]4年/[[至徳]]4年)1月、従五位上に昇叙。左馬頭如元。
 
*[[1388年]]([[元中]]5年/[[嘉慶]]2年)12月12日、従四位下に昇叙し、左兵衛督に転任。
 
*[[1402年]]([[応永]]9年)1月6日、正四位下に昇叙。左兵衛督如元。3月28日、参議に補任。8月21日、従三位に昇叙。8月22日、参議を辞す。
 
*[[1403年]]([[応永]]10年)6月14日、権中納言に転任。12月3日、従二位に昇叙し、権大納言に転任。12月7日、出家。
 
== 参考文献 ==