「今いくよ・くるよ」の版間の差分

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| メンバー = 今いくよ<br />今くるよ
| 別名 =
| 結成年 = [[19711970年]]
| 解散年 = [[2015年]]5月28日
| 事務所 = [[よしもとクリエイティブ・エージェンシー]]
| 活動時期 = [[19731971年]]1月 -
| 師匠 = [[島田洋之介・今喜多代|島田洋介・今喜多代]]
| 出身 = [[京都府]][[京都市]]
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* 出身 - [[京都府]][[京都市]]
* [[ABO式血液型|血液型]] - [[ABO式血液型|A型]]
* 痩せすぎているほど細い体型や厚化粧が特徴。長すぎる睫毛で、パチパチ瞬きをしたり首筋を掻く仕草が特徴で、[[中川剛 (お笑い芸人)|中川剛]]をはじめとする他のお笑い芸人からよくマネされている{{要出典|date=2015-6-4}}
* [[胃癌|胃がん]]の治療に専念するため2014年9月17日より休業<ref>{{Cite news |title=今いくよ、胃がんと診断…くるよショックも克服へ献身サポート |newspaper=[[産経ニュース]] |date=2014-09-17 |url=http://www.sankei.com/entertainments/news/140917/ent1409170002-n1.html |accessdate=2015-05-29 |publisher=[[産経新聞社]] }}</ref>、12月3日に舞台復帰したが<ref>{{Cite news |title=今いくよが胃がんから復帰 入院中の悩みは「素顔見せること」 |newspaper=[[東スポWeb]] |date=2014-12-03 |url=http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/341362/ |accessdate=2015-05-29 |publisher=[[東京スポーツ新聞社]] }}</ref><ref>{{Cite news |title=今いくよ 誕生日に電撃復帰!「長い付き合いに」胃がん治療継続 |newspaper=[[スポニチ Sponichi Annex]] |date=2014-12-04 |url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2014/12/04/kiji/K20141204009398280.html |accessdate=2015-05-29 |publisher=[[スポーツニッポン新聞社]] }}</ref>[[2015年]][[5月28日]]に逝去した<ref name="sponichi2015529" />。{{没年齢|1947|12|3|2015|5|28}}。亡くなる17日前の[[なんばグランド花月]]が最後の舞台であった<ref>{{Cite news |title=女性漫才師の今いくよさん死去 67歳 |newspaper=産経ニュース |date=2015-05-29 |author= |url=http://www.sankei.com/west/news/150529/wst1505290019-n1.html |accessdate=2015-05-29}}</ref>。その舞台に立つ直前の楽屋フロアを訪れた[[笑福亭鶴瓶]]らと挨拶を交わした様子を映した『[[桃色つるべ〜お次の方どうぞ〜]]』<ref>{{Cite news |title=『桃色つるべ〜お次の方どうぞ〜』の番組概要ページ(2015年6月17日分) |newspaper=gooテレビ番組 |date=2015-06-17 |author= |url=http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/383730/ |accessdate=2015-06-21}}</ref>が、最後のテレビ出演となった。
* 相方のくるよによると、亡くなる数日前も看護師から名前を呼ばれた際に「里谷正子、28歳です!」とギャグを言って看護師らの笑いをとっていたという。
* 戒名は「萬華院喜香正蓮大姉」(まんげいんきこうしょうれんだいし)<ref>{{Cite news |title=今いくよさん告別式…唇にビール「我慢してたから」 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2015-05-30 |url=http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1484840.html |accessdate=2015-05-30 |publisher=[[日刊スポーツ]] }}</ref>。
* いくよの通夜は[[5月29日]]、告別式は[[5月30日]]にそれぞれ[[京都市]]内で近親者のみで営まれたが、相方のくるよや[[宮川大助・花子|宮川花子]]も参列、通夜の際、くるよは「日本一の相方とやってこられて私は、ほんまに幸せやった」と参列者の前で挨拶して参列者の涙を誘った。お別れの会は[[8月4日]]に[[なんばグランド花月]](NGK)で[[大崎洋]]吉本興業社長・[[吉野伊佐男]]吉本興業会長が発起人となって行われ、くるよや[[笑福亭仁鶴 (3代目)|笑福亭仁鶴]]、[[桂文枝 (6代目)|六代桂文枝]]、[[西川きよし]]、[[ハイヒール (お笑い)|ハイヒール]]、[[シルク (タレント)|シルク]]ら吉本所属タレントを中心に約1,000人が参列して故人の冥福を祈った。NGKで吉本関連人物のお別れの会が行われるのは[[林正之助]](吉本興業元会長。[[1991年]]没)以来24年ぶりで、所属芸人としては史上初であった。
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共に独身で、男性を中心に後輩芸人の面倒見もよく彼女達を慕う芸人は非常に多い。毎年[[3月3日]]には2人が中心となってベテラン、若手問わずに吉本所属の女性芸人を集めて親睦会が行われる。また後輩芸人、スタッフにニックネームを付ける。
 
[[1970年]]、OLを辞め、[[島田洋之介|島田洋介・今喜多代]]<!--徹子の部屋2015/2/11-->に弟子入り。弟子入り3ヶ月目、師匠についていった巡業先で急病で出れなくなった女流のマジシャンの穴埋めで初舞台を踏んだ。その直後の[[うめだ花月]]の公演に「スエ子・正子」のコンビ名で出演<ref>NHKラジオ第1「かんさい土曜ほっとタイム」2016年6月4日</ref>。以降もスポットライトが当たることがなく、[[1980年]]になってようやく[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系「[[花王名人劇場]]」に出演するチャンスを得たものの、吉本興業から「これでウケなかったら最後」と通告されていた。リハーサルやネタ見せの段階では全く受けなかったが、本番になってくるよがお腹を叩いたところこれが受け<!--週刊文春 2015/6/11号-->、2人の漫才はカットされずに全国放送された(このときの他の出演者には[[横山やすし・西川きよし|やすし・きよし]]などの[[大御所]]が並んでいた)。翌日より[[テレビ]]、[[ラジオ]]その他からの出演依頼が殺到。苦難の末、ようやく本格女流[[漫才師]]として日の目を見ることとなった。その後[[1984年]]には[[上方漫才大賞]]を、1988年には[[花王名人大賞スペシャル|花王名人大賞]]を受賞している。
 
漫才では、いくよ「くるよちゃん、そんなとこ(肩)から足出して」くるよ「これは腕やっちゅうねん」。いくよ「私たち高校の頃にソフト部やってまして、私ピッチャーで[[エース]]。くるよちゃん、[[キャッチャー]]でロース(肉の部位)」。などの持ちネタがある。
 
他にもいくよの厚化粧をネタに、くるよが顔にファンデーションをはたくような仕草や、漫才途中から必ずくるよの派手で大きな衣装がズレてくるので、すそを何度も持ち上げての漫才をする。
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くるよは風貌が[[フィギュアスケート]]選手の[[鈴木明子]]に似ている。[[バンクーバーオリンピック]]期間中は、なんばグランド花月の楽屋ではこの話題で持ちきりだった。
 
== 持ちネタ ==
[[マクドナルド]]のハンバーガーを「パン」、[[フィレオフィッシュ]]を「お魚のパン」と言う。
お互いの風貌を貶し合いながらの漫才を行う。
漫才では、いくよ「くるよちゃん、そんなとこ(肩)から足出して」くるよ「これは腕やっちゅうねん」。*いくよ「私たち高校の頃にソフト部やってまして、私ピッチャーで[[エース]]。くるよちゃん、[[キャッチャー]]で[[ロース(肉の部位)]]。などの持ちネタがある。
*掛け合い漫才
*: いくよ「くるよちゃん、そんなとこ(肩)から足出して」
*: くるよ「これは腕やっちゅうねん」
*: いくよ「こんなくるよちゃんでも衣装は凄い人にデザインして貰ってるんですよ。あの[[黒川紀章]]さん」
*: くるよ「建築家やないかい」
 
== 出演 ==