「ゲルショム・ショーレム」の版間の差分

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[[博士論文]]のテーマは、最古のカバラ文献סֵפֶר הַבָּהִיר(セフェル・ハ=バヒール; "[[光輝の書]]")だった。[[シオニズム]]に傾倒し、友人ブーバーの影響もあって、[[1923年]]に英領[[パレスチナ]]へ移住。ここで彼はユダヤ神秘主義の研究に没頭し、[[司書]]の職を得た。最終的にはイスラエル国会図書館のヘブライ・ユダヤ文献部門の責任者となった。のちに[[エルサレム]]の[[ヘブライ大学]]で、講師として教え始めた。
 
彼の特色は、自然科学の素養を活かして、[[カバラ]]を科学的に教えた点にある。[[1933年]]にはヘブライ大学のユダヤ神秘主義講座の初代教授に就任、[[1965年]]に[[名誉教授]]となるまでこの地位にあった。[[カール・グスタフ・ユング]]が関わった「[[エラノス会議]]」にも参加
 
[[1936年]]、ファニア・フロイトと再婚。