ゲルショム・ショーレム
ゲルショム・ゲルハルト・ショーレム(גרשם גרהרד שלום Gershom Gerhard Scholem 1897年12月5日 - 1982年2月21日)は、ドイツ生まれのイスラエルの思想家。ユダヤ神秘主義(カバラ)の世界的権威で、ヘブライ大学教授を務めた。1968年にはイスラエル文理学士院の院長に選ばれた。
経歴編集
彼はベルリンでユダヤ人の家庭に生まれ育った。父はアルトゥール・ショーレム、母はベティ・ヒルシュ・ショーレム。画家だった父は同化主義者で、息子がユダヤ教に興味を持つのを喜ばなかったが、ショーレムは母のとりなしにより正統派のラビのもとでヘブライ語やタルムードを学ぶことを許された。
ベルリン大学で数学と哲学とヘブライ語を専攻。大学では、マルティーン・ブーバーやヴァルター・ベンヤミン、シュムエル・アグノン、ハイム・ナフマン・ビアーリク、アハッド・ハーアム、ザルマン・シャザールといった面々と知り合った。1918年にはベンヤミンと共にスイスのベルンにいたが、ここで最初の妻エルザ・ブルクハルトを識った。1919年にドイツへ戻り、ミュンヘン大学からセム語研究で学位を受けた。
博士論文のテーマは、最古のカバラ文献סֵפֶר הַבָּהִיר(セフェル・ハ=バヒール: "光輝の書")だった。シオニズムに傾倒し、友人ブーバーの影響もあって、1923年に英領パレスチナへ移住。ここで彼はユダヤ神秘主義の研究に没頭し、司書の職を得た。最終的にはイスラエル国会図書館のヘブライ・ユダヤ文献部門の責任者となった。のちにエルサレムのヘブライ大学で、講師として教え始めた。
彼の特色は、自然科学の素養を活かして、カバラを科学的に教えた点にある。1933年にはヘブライ大学のユダヤ神秘主義講座の初代教授に就任、1965年に名誉教授となるまでこの地位にあった。カール・グスタフ・ユングらが関わった「エラノス会議」にも参加。
親族編集
- 1936年、ファニア・フロイトと再婚。
- 兄のヴェルナー・ショーレムはドイツの極左組織<フィッシャー=マスロフ団>の一員で、ドイツ帝国議会ではドイツ共産党選出の議員だったが、のちに議会から追放され、ナチによって暗殺された。
著書(訳書)編集
- 『ユダヤ主義の本質』 河出書房新社, 1972年
- 『ユダヤ主義と西欧』 河出書房新社, 1973年
- 『ユダヤ教神秘主義』 河出書房新社, 1975年
- 『わが友ベンヤミン』 晶文社, 1978年
- 『ユダヤ神秘主義』 叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 1985年、のち新装版。別訳版
- 『カバラとその象徴的表現』 叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 1985年、のち新装版
- 『ベルリンからエルサレムへ 青春の思い出』 叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 1991年
- 『錬金術とカバラ』 作品社, 2001年
- 『サバタイ・ツヴィ伝 神秘のメシア』叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 2009年。2冊組
- 共著ほか
評伝編集
- デイヴィッド・ビアール 『カバラーと反歴史 評伝ゲルショム・ショーレム』 木村光二訳、晶文社, 1984年
- ステファヌ・モーゼス「ゲルショム・ショーレム―秘密の歴史」-『歴史の天使 ローゼンツヴァイク、ベンヤミン、ショーレム』
- 合田正人訳、叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 2003年
- スーザン・A・ハンデルマン「ゲルショム・ショーレムとヴァルター・ベンヤミン」-『救済の解釈学 ベンヤミン、ショーレム、レヴィナス』
- 合田正人・田中亜美訳、叢書ウニベルシタス・法政大学出版局, 2005年