「ボストン・セルティックス」の版間の差分

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ボストン・セルティックスは、NBAの前身である BAA (Basketball Association of America) 発足にともない設立された。創設者は[[ボストン・ガーデン]]オーナーのウォルター・ブラウン。セルティックスの名は、[[1920年代]]に[[ニューヨーク]]を本拠地としていた強豪チーム、[[ニューヨーク・セルティックス]]にあやかってつけられている。このニューヨークを本拠地としていたチームをオリジナル・セルティックスと呼ぶ。
[[File:RedAuerbach.jpg|right|thumb|100px|2006年のアワーバック]]
設立当初の数年間、セルティックスの勝率は5割に満たず、チーム成績はリーグ下位に甘んじるシーズンが続いた。[[1950年]]より[[レッド・アワーバック]]を監督兼球団副社長(選手人事担当者)という役職でチームに迎え、以後半世紀に渡って、人材の登用や試合の采配で才能を発揮しセルティックスをリーグきっての名門に育て上げて行くこととなる。同年、[[ポイントガード]]の[[ボブ・クージー]]がチームに加わり、翌年には[[ビル・シャーマン]]が入団したことにより、セルティックスは地区でも上位に入る中堅以上のチームに成長した。クージーは1952年から連続8シーズンの間リーグのアシスト王であり、後に殿堂入りを果たしている。1953年のドラフトでセルティックスは[[フランク・ラムジー (バスケットボール)|フランク・ラムジー]]を獲得し、ベンチからスタートしてチームに貢献する「シックススマン(6番目の選手)」として活躍させた。アワーバックは能力のある選手を敢えてスターターには起用しないという采配を最初に導入した監督だった。この起用法はのちのセルティックスの黄金時代を支えることになり、現在でも重要な戦術の一つとなっている。1982年に[[NBAシックスマン賞]]も設けられることになった。
=== ラッセルの活躍と8連覇 ===
セルティックスがリーグ史に残る強豪へと変貌するのは[[1956年]]からだった。このシーズンに[[トム・ヘインソーン]]と[[ビル・ラッセル]]を獲得したセルティックスはチーム史上初の優勝を経験。続く1957-58シーズンは優勝を逃したが、[[1959年]]からは8年連続の優勝を成し遂げた。[[1962年]]にドラフトで獲得した[[ジョン・ハブリチェック]]は新たな中心選手として連覇を支えた。
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*'''[[エド・マコーレー]]''' ([[w:Ed Macauley|Ed Macauley]]) :1950-1956
*'''[[ビル・シャーマン]]''' ([[w:Bill Sharman|Bill Sharman]]) :1951-1961 (C)(50) -セルティックスの選手コーチの他、ロサンゼルス・レイカーズのコーチとしての貢献で殿堂入り。
*'''[[フランク・ラムジー (バスケットボール)|フランク・ラムジー]]''' ([[w:Frank Ramsey|Frank Ramsey]]) :1954-1955、1956-1964 (C)
*'''[[アーニー・ライゼン]]''' ([[w:Arnie Risen|Arnie Risen]]) :1955-1958 (C)
*'''[[トム・ヘインソーン]]''' ([[w:Tom Heinsohn|Tom Heinsohn]]) :1956-1965 (C)
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*21 [[ビル・シャーマン]] ([[w:Bill Sharman|Bill Sharman]])
*22 [[エド・マコーレー]] ([[w:Ed Macauley|Ed Macauley]])
*23 [[フランク・ラムジー (バスケットボール)|フランク・ラムジー]] ([[w:Frank Ramsey|Frank Ramsey]])
*24 [[サム・ジョーンズ]] ([[w:Sam Jones|Sam Jones]])
*25 [[K・C・ジョーンズ]] ([[w:K.C. Jones|K.C. Jones]])