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セリエAでは「三階建て」構造と呼ばれる、ユヴェントス、ACミラン、インテルのビッグ3となっている。
 
白と黒の縦縞がクラブカラーだが、これは[[ノッツ・カウンティFC|ノッツ・カウンティ]]の同じユニフォームが由来となっている。それまでは、ピンクのユニフォームを使用していた(その後も、一時期は、アウェイユニフォームがピンクの時期があった)。
 
エンブレムの真ん中にいるのは馬ではなく牛。これはホームの[[トリノ]]市の紋章にも描かれていて、[[トリノ]]の語源がタウリーニ(牛の人々)であることが由来である。
 
セリエAにおいて最も成功したクラブの一つである。[[セリエA (サッカー)#スクデット|スクデット]]獲得回数はセリエA最多の32回で、[[ACミラン]]、[[インテルナツィオナーレ・ミラノ]](共にスクデット獲得18回)と並んでイタリアのみならず、世界でも指折りのビッグクラブの一つである。1996年から1998年には3年連続で[[UEFAチャンピオンズリーグ]]決勝に進出。過去8度決勝に進むもうち6度は準優勝に終わっている。欧州の主要リーグでは、国内リーグの優勝回数が最も多いクラブがUEFAチャンピオンズリーグの優勝回数も最多である場合が多いが、[[セリエA (サッカー)|セリエA]]と[[プレミアリーグ]]に関しては例外である。
 
ホームタウンという概念が確立しているヨーロッパには珍しく、全国的な人気を持つクラブである。
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[[ファイル:Pionieri Juve 1898.gif|thumb|1898年の選手]]
[[ファイル:Juventus FC in 1903.gif|thumb|1903年の選手]]
クラブは1897年11月1日にマッシモ・ダゼーリオ高等学校の生徒らによって'''スポルト・クラブ・ユヴェントス''' (''Sport Club Juventus'') として創設された。1900年よりイタリア選手権(後の[[セリエA (サッカー)|セリエA]]に相当する全国大会)に参加。この時期までユヴェントスが使用していたピンクと黒のユニフォームは色褪せしやすいという問題があり、1903年に現在の白と黒(ビアンコネッロ)に代わった。この配色は、当時クラブに所属したイングランド人選手ジョン・サヴェージから代替ユニフォームを頼まれた母国の友人が[[ノッツ・カウンティFC|ノッツ・カウンティ]]のファンであったことに由来する。
 
1905年にイタリア選手権で初優勝した。1906年にはクラブの紛争によってスイス人のアルフレド・ディック会長がクラブを去り、FBCトリノ(現[[トリノFC]])を創設した。
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[[ファイル:Trapattoni.jpg|thumb|upright|ジョヴァンニ・トラパットーニ]]
[[ファイル:1986-87 Serie A - SSC Napoli v Juventus FC - Michel Platini.jpg|thumb|upright|ミシェル・プラティニ]]
1929年に[[セリエA (サッカー)|セリエA]]が発足。間もない1930年代前半には5シーズン連続の優勝を飾り、クラブの歴史上最初の黄金時代を築いた。1934年の[[1934 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・イタリア大会]]に優勝した[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]には、[[アルゼンチン]]出身のFW[[ライムンド・オルシ]]やMF[[ルイス・モンティ]]、代表主将を務めたGK[[ジャンピエロ・コンビ]]ら、実に9人ものユヴェントス選手を含んだ。
 
1947年に[[ジャンニ・アニェッリ]]が会長に就任、クラブは株式会社化された。1940年代はライバルであるACトリノ(現[[トリノFC]])の好調の影に隠れる格好になった。
 
1957-58シーズン、初めての[[ダブル (サッカー)|ダブル]]を達成したのみならず、通算10回目のリーグ優勝によってステッラ(星)を胸に付けることを認められる最初のクラブになった。このシーズンから1960-61シーズンまでの4シーズンの間に[[セリエA (サッカー)#スクデット|スクデット]]3回、カップ2回を獲得。長らくクラブの最多得点記録者だった[[ジャンピエロ・ボニペルティ]]、[[ジョン・チャールズ]]、[[オマール・シボリ|オマール・シヴォリ]]のFW三人組は「魔法のトリオ (Il Trio Magico)」と呼ばれた。
 
1960年代以降、欧州のカップ戦でたびたび上位に入ったが、優勝にまでは至らなかった。
 
1976年に監督に就任した[[ジョバンニ・トラパットーニ]]は、1986年まで続く長期政権下に多くの栄誉をもたらした。まず、初年度の1976-77シーズンにクラブ初の欧州タイトルとなる[[UEFAカップ1976-77|UEFAカップ]]で優勝。[[セリエA (サッカー)|セリエA]]でもコンスタントに優勝し、1981-82シーズンに通算20回目のリーグ優勝を達成。1983-84シーズンに[[UEFAカップウィナーズカップ]]で初優勝。
 
1984-85シーズンの[[UEFAチャンピオンズカップ 1984-85|UEFAチャンピオンズカップ]](現[[UEFAチャンピオンズリーグ]])において、3度目の決勝進出で初勝利し、念願の欧州チャンピオンに輝いた。試合前にはイングランドのフーリガンの蛮行に端を発する惨劇で多くの死傷者が出た(詳細は[[ヘイゼルの悲劇]]を参照)。同年末には[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]でアルゼンチンの[[AAアルヘンティノス・ジュニアーズ|アルヘンティノス・ジュニアーズ]]をPK戦で破り、世界一のタイトルも手に入れた。
 
この時代には、セリエAで3シーズン連続得点王となった[[ミシェル・プラティニ]]を始め、後にユヴェントスの最多試合出場記録を作る[[ガエターノ・シレア]]、[[1982 FIFAワールドカップ|FIFAワールドカップ・スペイン大会]]得点王のFW[[パオロ・ロッシ]]らがいた。
 
1980年代後半から1990年代前半にかけて、セリエAではしばらく優勝から遠ざかったが、その間にも[[ロベルト・バッジョ]]、[[ジャンルカ・ヴィアリ|ヴィアリ]]、[[ファブリッツィオ・ラバネッリ|ラバネッリ]]等の活躍もあり、欧州では2度[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]優勝を果たした。
 
=== 2度目の欧州制覇 ===
1994年に[[マルチェロ・リッピ]]が監督に就任すると、初年度の1994-95シーズンに9年ぶりに[[スクデット]]を獲得。1995-96シーズンには、後に絶対的な[[フランチャイズ・プレイヤー|バンディエラ]]となる[[アレッサンドロ・デル・ピエロ]]がエースとして活躍、[[UEFAチャンピオンズリーグ]]で2度目の欧州チャンピオンに輝き、同年末のトヨタカップにも勝利した。特にUEFAチャンピオンズリーグでは、[[ジネディーヌ・ジダン]]、[[フィリッポ・インザーギ]]、[[ディディエ・デシャン]]等の活躍により1995-96シーズンから3シーズン連続で決勝に進出するという離れ業を成し遂げている。
 
=== 低迷期 ===
1998-99シーズンはセリエA3連覇は堅いと予想されていた。しかし、蓋を開けてみると、予想に反して期待を裏切ったシーズンだった。開幕戦こそ[[ペルージャ・カルチョ|ペルージャ]]に勝利したものの、デル・ピエロがシーズンを棒に振るほどの大怪我を負って以降は、無得点試合が何試合も続くほどの慢性的な得点欠乏症に苦しみ、中位に低迷した。[[マルチェロ・リッピ]]が監督を退任した後、[[カルロ・アンチェロッティ]]が監督に就任したが、セリエA優勝には届かなかった。
 
=== 不正による2つのスクデット剥奪と史上初の降格 ===
約3年間のブランクを経て、再び[[マルチェロ・リッピ]]が監督に就任すると、てこ入れとして[[ジネディーヌ・ジダン]]と[[フィリッポ・インザーギ]]というこれまでの主力を放出する一方で、[[パベル・ネドヴェド]]、[[ジャンルイジ・ブッフォン]]、[[リリアン・テュラム]]らを獲得した。その結果、2001-02及び2002-03シーズンのセリエA連覇を果たす。また、2002-03シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグ決勝に駒を進めたが、PK戦の末、惜しくも[[ACミラン]]に敗れる。2003-04シーズンはセリエAで3位に終わったことの責任を取り、[[マルチェロ・リッピ]]監督が辞任。フロントは新監督に[[ファビオ・カペッロ]]を指名した。
 
[[エメルソン・フェレイラ・ダ・ローザ|エメルソン]]や[[ファビオ・カンナヴァーロ]]、[[ズラタン・イブラヒモビッチ]]といった新戦力を補強し、カペッロ監督の下、ユヴェントスは2004-05及び2005-06シーズンを連覇する。しかし、2006年夏にルチアーノ・モッジGMらによる審判への買収・脅迫行為が発覚([[カルチョ・スキャンダル]]も参照)クラブは2004-05及び2005-06シーズンのスクデット剥奪に加え、史上初のセリエB降格処分を受けた。
 
=== セリエA昇格から低迷期 ===
[[File:Del Piero - Juventus.jpg|thumb|upright|アレッサンドロ・デル・ピエロ]]カルチョ・スキャンダルでの厳しい処分による影響や相次ぐ主力放出により、苦戦が予想された2006-07シーズンは、[[アレッサンドロ・デル・ピエロ]]、[[ダヴィド・トレゼゲ]]、[[ジャンルイジ・ブッフォン]]、[[パベル・ネドヴェド]]などが残留し、[[ディディエ・デシャン]]監督の下、セリエB優勝を決めて1年でのセリエA復帰を果たした。
 
下馬評ではUEFAチャンピオンズリーグへの復帰は難しいだろうと考えられていた2007-08シーズンは予想を覆す勢いで勝利を挙げ3位でシーズンを終え、2008-09シーズンの[[UEFAチャンピオンズリーグ]]予備戦3回戦からの復帰が確定。デル・ピエロとトレゼゲの2トップはリーグ戦合計で41ゴールを挙げ、デル・ピエロは21ゴールで得点王のタイトルを獲得した。
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しかし、2008-09シーズンは無冠が決定し、シーズン途中で[[クラウディオ・ラニエリ]]は解任され、かつてユヴェントスのDFとして活躍した[[チロ・フェラーラ]]がシーズン終了まで指揮を執ることとなった。
 
2008-09シーズンが無冠で終わったことから、2009年夏の移籍市場では活発に動き、市場開幕前に[[レアル・マドリード]]より[[フリートランスファー]]で、かつて所属した[[ファビオ・カンナヴァーロ]]を、また、[[ヴェルダー・ブレーメン]]より2450万ユーロで[[ジエゴ・リバス・ダ・クーニャ|ジエゴ]]を、更に移籍金2050万ユーロ(約27億円)に加え、[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]経験のあるMF[[マルコ・マルキオンニ]]と引き換えに[[ACFフィオレンティーナ|フィオレンティーナ]]からブラジル代表の[[フェリペ・メロ]]を獲得した。
 
2009-10シーズンは昨季途中から引き続きフェラーラの指揮の下、開幕当初は勝ち星を重ねることができたものの、徐々に成績を落としていき、チャンピオンズリーグはグループリーグで敗退、21節を終えた時点で首位と勝ち点16差を付けられるなどチームは低迷する。コッパ・イタリアも敗退が決まるとクラブはフェラーラを解任。後任として[[アルベルト・ザッケローニ]]の監督就任が発表された。36節[[カルチョ・カターニア|カターニア]]戦で引き分け、来季のチャンピオンズリーグ出場権が消滅してしまった。このシーズン結局7位に終わる。
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2010-11シーズン中盤以降の失速により、最終的に前年度と同じ7位というヨーロッパの舞台に立つ事すら許されない結果となった。また、[[UEFAヨーロッパリーグ|ヨーロッパリーグ]]ではグループリーグ敗退。これを受けて抜本的な改革を実行。デルネーリを解任し、クラブOBで[[SSローブル・シエーナ|ACシエーナ]]をセリエA昇格へ導いた[[アントニオ・コンテ]]を監督に招聘。
 
2011-12シーズンに向けてユヴェントスのオーナー陣は増資を決定し、1億2000万ユーロの補強資金が用意された。このうち3700万ユーロは昨季レンタルで獲得した[[ファビオ・クアリャレッラ]]([[SSCナポリ]])を3年契約、[[アレッサンドロ・マトリ]]([[カリアリ・カルチョ|カリアリ]])を4年契約、[[シモーネ・ペペ]]、[[マルコ・モッタ]](ともに[[ウディネーゼ・カルチョ|ウディネーゼ]])を4年契約で、完全移籍で獲得するのに使われた。また積極的な移籍市場への介入を行い、スイス代表の[[レト・ツィークラー]]、ACミランでの契約延長に合意しなかったイタリア代表MF[[アンドレア・ピルロ]]をフリーで獲得した。[[フェリペ・メロ]]や[[モハメド・シコ]]といったこれまでの主力を売却する一方で、[[ステファン・リヒトシュタイナー]]や[[アルトゥーロ・ビダル]]、[[ミルコ・ヴチニッチ]]といった実力者を獲得した。
 
2011年9月、イタリアでは初めてのクラブ占有のスタジアム、[[ユヴェントス・スタジアム]]が完成した。スタジアム完成後初のシーズンを23勝15分の無敗で優勝し、セリエA復帰後初優勝を達成した。なお、今回で公式には28回目の優勝であるが、カルチョ・スキャンダルで剥奪された分も含めて30回目の優勝だと主張しており、「30 Sul Campo」(フィールド上では30回)の文字をユニフォームに入れている。このシーズン限りで[[フランチャイズ・プレイヤー|バンディエラ]]でもあるキャプテンの[[アレッサンドロ・デル・ピエロ]]がユヴェントスのユニフォームを脱ぐことが決定した。その後、デル・ピエロは[[シドニーFC]]に移籍が決定。
 
2012-13シーズンは、[[クワドォー・アサモア]]と[[マウリシオ・イスラ]]の[[ウディネーゼ・カルチョ]]からのコンビや[[ポール・ポグバ]]らを獲得したが監督のコンテがシエナ時代の八百長の報告義務違反で処分され、10ヶ月出場停止に(4ヶ月に軽減)。そのハンデをものともせず、着実に勝ち点を重ね、2013年5月5日、連覇を果たした。また、3シーズンぶりの[[UEFAチャンピオンズリーグ 2012-13|チャンピオンズリーグ]]ではグループリーグを突破するも準々決勝で[[バイエルン・ミュンヘン]]にホーム・アウェーとも2-0で敗れた。
 
2013-14シーズンは、2013年1月に獲得が内定していた[[フェルナンド・ジョレンテ]]や、デル・ピエロが着用していた「10番」を継ぐ[[カルロス・テベス]]、同じ街の[[トリノFC]]生え抜きの[[アンジェロ・オグボンナ]]を獲得。ホーム戦全勝でリーグ3連覇を達成し、公式に30回目の優勝を果たした。また、このシーズンにユヴェントスが積み上げた勝ち点「102」は、欧州主要リーグの最多勝ち点記録を更新した。しかし躍進が期待された[[UEFAチャンピオンズリーグ 2013-14|チャンピオンズリーグ]]は、最終戦の[[トルコ・テレコム・アリーナ|ガラタサライホーム]]での悪天候による再試合といったハプニングもあったが、国内での記録的な強さが嘘であるかの様な不調ぶりでグループリーグ3位で敗退した。[[UEFAヨーロッパリーグ 2013-14|ヨーロッパリーグ]]は決勝がホームグラウンドの[[ユヴェントス・スタジアム]]であるため、決勝進出そして優勝が期待された。しかし、準決勝で国内3冠を果たしたポルトガルの巨人[[SLベンフィカ|ベンフィカ]]に2試合合計2-1で敗れ、ベスト4で敗退となった。
 
2014-15シーズン開幕前のプレシーズンキャンプ中、7月15日に3連覇の立役者であるアントニオ・コンテ監督が突然辞任。翌日、元ミラン監督である[[マッシミリアーノ・アッレグリ]]の監督就任が決定した。ミラン最終シーズンの不振やミラン在籍時代の発言もあって当初アッレグリは不人気だったものの4試合を残してリーグ戦四連覇を達成、[[コッパ・イタリア]]では[[SSラツィオ|ラツィオ]]を延長戦の末2-1で下し20年ぶりの10回目となるコッパ・イタリア制覇を果たした。[[UEFAチャンピオンズリーグ  2014-15|UEFAチャンピオンズリーグ]]では準決勝で前回チャンピオンの[[レアル・マドリードCF|レアル・マドリード]]を二試合合計3-2で下し12年ぶりの決勝進出を果たした。決勝では同じく2冠を達成したスペインの[[FCバルセロナ]]とお互いに3冠を賭けて対戦したが、試合開始早々に失点し、追いつくも再び勝ち越され、結果的に3-1で敗れた。これにより歴代最多となる6度目の準優勝に終わった。
 
2015-16シーズン前には[[カルロス・テベス]]、[[アンドレア・ピルロ]]、[[アルトゥーロ・ビダル]]といった主力に加え、[[フェルナンド・ジョレンテ]]といった四連覇や2014-15シーズンの二冠に貢献した戦力を放出する一方、[[パウロ・ディバラ]]、[[マリオ・マンジュキッチ]]、[[サミ・ケディラ]]、[[アレックス・サンドロ・ロボ・シウバ|アレックス・サンドロ]]、[[フアン・クアドラード]]、[[シモーネ・ザザ]]、[[ダニエレ・ルガーニ]]、[[アンデルソン・エルナネス・デ・カルヴァーリョ・アンドラーデ・リマ|エルナネス]]といった新戦力を獲得し大幅な血の入れ替えを敢行した。[[SSラツィオ]]との[[スーペルコッパ・イタリアーナ]]は制覇したものの、リーグ戦では主力の怪我や新戦力が噛みあわなかったことから、クラブ史上初の開幕からの二連敗や開幕からの10試合で3勝3分4敗という不振ぶりであった。しかし、怪我人の復帰や新戦力がフィットしてきたこともあり、2015年10月31日のトリノFCとの[[デルビー・デッラ・モーレ|トリノダービー]]からのクラブ新記録の15連勝で首位に浮上。その後1度の引き分けを挟むと9連勝。3試合を残して4月25日に優勝を決め、セリエA史上4チーム目となる五連覇を達成した。[[コッパ・イタリア]]では決勝に勝ち進み、5月21日のACミランとの決勝では0-0で延長戦に入るも延長戦後半に途中出場の[[アルバロ・モラタ]]が値千金の先制ゴールを挙げ、1-0で勝利し連覇を達成した。これで2年連続の国内二冠を達成。またスーペルコッパ・イタリアーナを含めて史上初のイタリア国内三冠を達成した。
また、キャプテンのGK[[ジャンルイジ・ブッフォン]]が2016年3月20日のトリノFCとの[[トリノダービー]]で1993-94シーズンに元イタリア代表GK[[セバスティアーノ・ロッシ]]が記録した929分のセリエAにおける無失点記録を更新する「974分」の無失点記録を達成した。
[[UEFAチャンピオンズリーグ 2015-16|UEFAチャンピオンズリーグ]]では、ベスト16でドイツの巨人[[バイエルン・ミュンヘン]]と対戦。ホームアウェー共に2-2、180分で合計4-4のスコアとなり延長戦にもつれこんだ。しかし、延長戦で2点を決められ敗退した。
 
== タイトル ==
=== 国内タイトル ===
* '''[[セリエA (サッカー)|セリエA]]:32回''' [[File:Star*.svg|13px]][[File:Star*.svg|13px]][[File:Star*.svg|13px]][[File:Scudetto.svg|20px]][[File:Scudetto.svg|20px]]
** [[:it:Prima Categoria 1905|1905]], [[:it:Prima Divisione 1925-1926|1925-1926]], [[:it:Serie A 1930-1931|1930-31]], [[:it:Serie A 1931-32|1931-32]], [[:it:Serie A 1932-33|1932-33]], [[:it:Serie A 1933-34|1933-34]], [[:it:Serie A 1934-35|1934-35]], [[:it:Serie A 1949-50|1949-50]], [[:it:Serie A 1951-52|1951-52]], [[:it:Serie A 1957-58|1957-58]], [[:it:Serie A 1959-60|1959-60]], [[:it:Serie A 1960-61|1960-61]], [[:it:Serie A 1966-67|1966-67]], [[:it:Serie A 1971-72|1971-72]], [[:it:Serie A 1972-73|1972-73]], [[:it:Serie A 1974-75|1974-75]], [[:it:Serie A 1976-77|1976-77]], [[:it:Serie A 1977-78|1977-78]], [[:it:Serie A 1980-81|1980-81]], [[:it:Serie A 1981-82|1981-82]], [[:it:Serie A 1983-84|1983-84]], [[:it:Serie A 1985-86|1985-86]], [[:it:Serie A 1994-95|1994-95]], [[:it:Serie A 1996-97|1996-97]], [[:it:Serie A 1997-98|1997-98]], [[セリエA (サッカー) 2001-2002|2001-02]], [[セリエA (サッカー) 2002-2003|2002-03]], [[セリエA (サッカー) 2011-2012|2011-12]], [[セリエA (サッカー) 2012-2013|2012-13]], [[セリエA (サッカー) 2013-2014|2013-14]], [[セリエA (サッカー) 2014-2015|2014-15]], [[セリエA (サッカー) 2015-2016|2015-16]]([[カルチョ・スキャンダル]]により[[セリエA (サッカー) 2004-2005|2004-05]], [[セリエA (サッカー) 2005-2006|2005-06]]のスクデット剥奪)
 
* '''[[コッパ・イタリア]]:11回''' [[File:Star empty.svg|13px]][[File:Coccarda_Coppa_Italia.svg|17px]]
** [[:it:Coppa Italia 1937-1938|1937-38]], [[:it:Coppa Italia 1941-1942|1941-42]], [[:it:Coppa Italia 1958-1959|1958-59]], [[:it:Coppa Italia 1959-1960|1959-60]], [[:it:Coppa Italia 1964-1965|1964-65]], [[:it:Coppa Italia 1978-1979|1978-79]], [[:it:Coppa Italia 1982-1983|1982-83]], [[:it:Coppa Italia 1989-1990|1989-90]], [[:it:Coppa Italia 1994-1995|1994-95]], [[:it:Coppa Italia 2014-2015|2014-15]], [[:it:Coppa Italia 2015-2016|2015-16]]
 
* '''[[スーペルコッパ・イタリアーナ]]:7回''' [[File:Supercoppaitaliana.png|20px]][[File:Supercoppaitaliana.png|20px]][[File:Supercoppaitaliana.png|20px]][[File:Supercoppaitaliana.png|20px]][[File:Supercoppaitaliana.png|20px]][[File:Supercoppaitaliana.png|20px]][[File:Supercoppaitaliana.png|20px]]
** [[:en:1995 Supercoppa Italiana|1995]], [[:en:1997 Supercoppa Italiana|1997]], [[:en:2002 Supercoppa Italiana|2002]], [[:en:2003 Supercoppa Italiana|2003]], [[:en:2012 Supercoppa Italiana|2012]], [[:en:2013 Supercoppa Italiana|2013]], 2015
 
=== 国際タイトル ===
* '''[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|インターコンチネンタルカップ]]:2回'''
** [[:it:Coppa Intercontinentale 1985|1985]], [[:it:Coppa Intercontinentale 1996|1996]]
 
* '''[[UEFAチャンピオンズリーグ]]:2回''' [[File:Coppacampioni.png|20px]][[File:Coppacampioni.png|20px]]
** [[UEFAチャンピオンズカップ 1984-85|1984-85]], [[UEFAチャンピオンズリーグ 1995-96|1995-96]]
 
* '''[[UEFAカップウィナーズカップ]]:1回''' [[File:Coppacoppe.png|20px]]
** [[:it:Coppa delle Coppe 1983-1984|1983-84]]
 
* '''[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]:3回''' [[File:UEFA Cup (adjusted).png|20px]][[File:UEFA Cup (adjusted).png|20px]][[File:UEFA Cup (adjusted).png|20px]]
** [[UEFAカップ1976-77|1976-77]], [[UEFAカップ1989-90|1989-90]], [[UEFAカップ1992-93|1992-93]]
 
* '''[[UEFAスーパーカップ]]:2回'''
** [[:en:1984 European Super Cup|1984]], [[:en:1996 UEFA Super Cup|1996]]
 
* '''[[UEFAインタートトカップ]]:1回''' [[File:Coppa Intertoto.svg|20px]]
** [[:it:Coppa IntertotoUEFAインタートトカップ 1999|1999]]
 
== 過去の成績 ==
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{{サッカークラブチーム選手一覧 開始}}
{{サッカークラブチーム選手一覧 選手|背番号=--|国籍=ITA |ポジション=GK|名前=[[フランチェスコ・アナコウラ]]|その他=[[FCプロ・ヴェルチェッリ|プロ・ヴェルチェッリ]]}}
{{サッカークラブチーム選手一覧 選手|背番号=--|国籍=ITA |ポジション=GK|名前=[[ヴィンチェンツォ・フィオリッロ]]|その他=[[デルフィーノ・ペスカーラ・カルチョ1936|ペスカーラ]]}}
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{{サッカークラブチーム選手一覧 選手|背番号=--|国籍=ITA |ポジション=GK|名前=[[ティモシー・ノッキ]]|その他=[[スペツィア・カルチョ|スペツィア]]}}