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[[421年]]、[[サーサーン朝]]との間に{{仮リンク|ローマ・サーサーン戦争 (421年-422年)|en|Roman–Sassanid War (421–422)}}が勃発。
テオドシウス2世の治世には[[フン族]]の[[アッティラ]]に度々侵入されていたが、[[サーサーン朝]]も[[425年]]から[[エフタル]]の侵入に悩まされていた。この戦争は1年で終結し、平和条約により「[[前の態 ([[:w:Status quo ante bellum|Status quo ante bellum戦前の状態]])」に回復された。
その後勃発した{{仮リンク|ビザンチン東ローマ・サーサーン戦争 (440年)|en|Byzantine–Sasanian War of 440}}を[[ヴァンダル族]]の侵入により速やかに終結させた後、テオドシウス2世は、[[サーサーン朝]]の{{仮リンク|ヤズデギルド2世|en|Yazdegerd II}}と[[441年]]に相互不可侵を結んだ。
 
だが[[450年]]、テオドシウス2世は乗馬中の事故で急死。帝位は彼の姉と結婚した[[マルキアヌス]]が継いだ。
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*[[テオドシウス朝]]
 
{{東ローマ皇帝}}
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[[Category:東ローマ皇帝]]