「ヴァロワ=ブルゴーニュ家」の版間の差分

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それが一気に現れたのが、[[1435年]]の[[アラスの和平]]である。当初はフランス・ブルゴーニュ・イングランドの三者会談であったが、イングランド使節は早々に帰国し、フランス・ブルゴーニュのみの会談となった。この会談ではシャルル7世の懐刀とも言うべき[[アルテュール3世 (ブルターニュ公)|アルテュール・ド・リッシュモン]]の工作が実り、シャルル7世と善良公の間に和平が成立したのである。内容は、ジャン無怖公殺害に関するシャルル7世側の謝罪、善良公1代限りの臣従免除、[[ピカルディ]]と[[ブローニュ]]の獲得であった。フランス・ブルゴーニュ同盟の成立にベッドフォード公は憤死した。
 
そしてフランス・ブルゴーニュ同盟の一環として、善良公とイザベルの嫡子[[シャルル (ブルゴーニュ公)|シャルル]]とシャルル7世の娘[[カトリーヌ・ド・フランス (1428-1446)|カトリーヌ]]の結婚式が[[1440年]]に行われた。
 
==== 中世の終焉 ====