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== 民族・言語 ==
中国の史書によると、[[濊貊語|濊の言語]]は夫余と同じ<ref>『後漢書東夷伝』『三国志東夷伝』</ref>と記される。夫余語が現在のどの系統に属すのかについては古くから論争があり、手掛かりがほとんど無く現在に至ってもよく解っていない。濊貊は、古代の韓国·北朝鮮の種族名の種族名で朝鮮半島北部と中国の東北部に住んでいた国·北朝の根幹となる民族の一つを見ている。しかし、まだ様々な見解が示されている。
 
* '''ツングース語系説'''…日本では、[[粛慎]]系の[[靺鞨]]や[[勿吉]]とともに夫余も[[ツングース系]]であるとされており<ref>
*シロコゴロフ、[[川久保悌郎]]・[[田中克巳]]訳『シロコゴロフ 北方ツングースの社會構成』(1942年、岩波書店)p285-p287「鳥居龍蔵氏は彼らを北朝鮮の強国、夫余及び高句麗の建設者と見做し、彼等をツングースであろうと考えている。」
*[[白鳥庫吉]]『白鳥庫吉全集 第4巻』(1970年、岩波書店)P536「『貊は果たして何民族と見做すべきか』貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう。」
*[[井上秀雄]]、他訳注『東アジア民族史1-正史東夷伝』(1974年、平凡社)p103「(高句麗、夫余の)両族は、ともにツングース系と考えられている。両族が同系であることは始祖神話(東明・朱蒙伝説)の類同によっても推測できよう。」
*[[加藤九祚]]『北東アジア民族学史の研究』(1986年、恒文社)p156「高句麗は北扶余から発したというが、その北扶余がツングース・満州語族に属することは定説となっている」
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*[[水野祐]]『古代の出雲』(1972年、吉川弘文館)p300「朝鮮半島へ南下した大陸系北方民族が、高句麗にしても、扶余にしても、濊にしても、いずれもみな満州に原住したツングース系統と考えられている。」
*[[小島直記]]『松永安左ェ門の生涯』(1980年、松永安左ェ門伝刊行会)p1073「朝鮮には、西暦紀元頃、ツングース系の高句鹿と、そして漢民族の移民とが住んでいたという。」
*[[佐々木高明]]『地域と農耕と文化』(1998年、大明堂)p317「高句麗や渤海も、濊や沃などもツングース系の民族だといわれている。」
*[[室谷克実]]『日韓がタブーにする半島の歴史』(2010年、新潮社)p193「(中国の史書には)高句麗などのツングース系民族と韓族との間には、比較の記述がない。(民族が)違うことが大前提であり、わざわざ違うとは書いていない」</ref>、日本では多数を占める説となっている。
 
* '''ツングース+モンゴル語系説'''…比較言語学的研究により、貊系(濊系、扶余系)の語彙<ref>中国史書にわずかに見える漢文語彙。</ref>の多くがツングース系の語彙と共通し、かつ[[モンゴル系]]の語彙も含むことから、夫余・高句麗語はツングース系をベースとしたモンゴル系との混成語であるとする説<ref>[[白鳥庫吉]]「貊は果たして何民族と見做すべきか」(『白鳥庫吉全集 第4巻』1970年、岩波書店)「貊の言語には多量のTunguse語に少量の蒙古語を混入していることが認められる。想うにこの民族は今日のSolon人の如く、Tunguse種を骨子とし、之に蒙古種を加味した雑種であろう。」</ref>。これに対し、粛慎系の言語はモンゴル系などが混じっていない「純ツングース系」とされる。
 
* '''夫余語系説'''…比較言語学的研究により、『[[三国史記]]』所載の高句麗地名から抽出した高句麗語語彙が、ツングース系語彙よりも日本語や中期朝鮮語語彙に多く共通するとして、アルタイ祖語は夫余・日本・朝鮮・韓共通語とテュルク・モンゴル・ツングース共通語の二つに分離し、前者が原始韓語と原始夫余語とに分かれ、ついで原始夫余語が高句麗語と原始日本語とに分かれたとする説<ref>三上次男・神田信夫編『民族の世界史3 東北アジアの民族と歴史』(1989年、山川出版社)p169「彼(李基文)によると、アルタイ諸語と朝鮮語の間に動名詞語尾と若干の曲用語尾について一致が見られるという。また、語彙の比較においては、かなりの一致が朝鮮語とアルタイ諸語に共通して見出され、そのうち、朝鮮語とツングース諸語の間に語彙の一致がもっとも多く、ついでモンゴル諸語との間にも興味深い一致が見出され、チュルク語との間には一致するものが非常に少ないという。(中略)こうした状況のなかで、李基文は『三国史記』所載の高句麗地名からかなりの語彙を抽出し「高句麗語」としてとらえ、朝鮮語、日本語、ツングース語との比較を試みた(1966年)。そして、高句麗語が、朝鮮語(新羅、中世語)と著しい語彙の一致をみせ、日本語とも多くの共通語をもち、ツングース語とも若干の一致例をみせるとし、アルタイ祖語が夫余・日本・朝鮮・韓共通語とチュルク、モンゴル、ツングース共通語の二つに分離し、前者が原始韓語と原始夫餘語とに分かれ、ついで原始夫餘語が高句麗語と原始日本語とに分かれたとして、高句麗語は日本語と朝鮮語との親縁関係をつなぐミッシング・リングの位置を占めると主張した。《梅田博之》《李基文「韓国語形成史」(『韓国文化史大系Ⅴ.言語・文化史』)ソウル1967 p21-122、李基文「高句麗の言語とその特徴」(『白山学報』4号)1968(中村完訳、『韓』第10号 東京韓国研究院 1972;池田次郎・大野晋編『論集 日本文化の起源5 日本人種論・言語学』平凡社 1973 p594-627)》」</ref>。しかし、村山七郎や清瀬義三郎則府は、高句麗語と朝鮮語は遠いことを示すと共に、日本語と近縁の言語とし<ref>清瀬義三郎則府『日本語学とアルタイ語学』(明治書院、1991年)</ref>、そもそも高句麗語の存在や不正確さも指摘している<ref>金東昭(訳:栗田英二)『韓国語変遷史』(明石書店、2003年)、金芳漢『韓国語の系統』(三一書房、1985年)</ref>。