「筑紫哲也」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
14.193.65.41 (会話) による ID:63209389 の版を取り消し
58行目:
司会者を務めていた頃、“[[宇宙人]]と交信しました”というニュースを伝えた。伝えた日は[[1979年]](昭和54年)[[4月1日]]だった。[[エイプリルフール]]のジョークとして伝え、すぐに「ウソです」と言ったが、直後に抗議の電話が殺到し、[[生放送]]中に抗議の電話に応対する事態となった。この件については後に[[新聞]]([[スポーツニッポン]]1979年(昭和54年)4月3日付け)で取り上げられた。
 
[[1984年]](昭和59年)から[[1987年]](昭和62年)まで、雑誌『[[朝日ジャーナル]]』の編集長を務めた。「若者たちの神々」「新人類の旗手たち」「元気印の女たち」の連載で、当時の若者の[[リーダー]]たちにインタビューし、対談を通じて[[時代精神|時代の気分]]を探ろう・表し出そうと試みた。この連載などで[[新人類]]なる言葉は世に広がった。シリーズ「日常からの疑問 こんなものいらない」の代表記事は『現代無用物事典』および『こんなものいらない事典』(いずれも[[新潮社]])として出版され、話題を呼んだ。1984年4月からTBSラジオで筑紫哲也ニュース・ジョッキーのパーソナリティを務める。
 
ニューヨーク勤務の[[1989年]](平成元年)夏、再度TBSからの打診<ref>[http://book.asahi.com/special/TKY201010290493.html 筑紫拓也さん(1) 23キャスター就任、悩む父の背中を押した - 特集 - BOOK] asahi.com([[朝日新聞社]]) 2010年11月5日</ref>を受け朝日新聞社を退社。同年10月に『筑紫哲也 NEWS23』を開始することとなる<ref>『ニュースキャスター』(筑紫哲也著、[[集英社新書]]・[[2002年]])、『無名記者の挽歌』(中島清成著、[[中央公論新社]]・[[2009年]])</ref>。