「コショウ」の版間の差分

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==歴史==
コショウは古代から[[インド]]地方の主要な輸出品だった。紀元前4世紀の初め頃、[[古代ギリシア]]の植物学者[[テオフラストゥス]]は『[[植物誌]]』の中でコショウと[[ヒハツ|長コショウ]]を考察している。コショウは当時から貴重で、紀元1世紀のローマの歴史家[[大プリニウス]]は1[[ポンド (質量)|ポンド]](約500グラム)の長コショウの価値は15[[デナリウス|デナーリ]]、白コショウは7デナーリ、黒コショウは4デナーリと記録している。古代の[[地中海世界]]では長コショウが成熟したものが黒コショウになると考えられており、その間違いは、[[16世紀]]に[[ガルシア・デ・オルタ]]によって改められるまで続いた{{sfn|ドルビー |2004|pp=139-148}}。
 
胡椒は、[[ピペリン]](piperine)による抗菌・防腐・防虫作用が知られており、冷蔵技術が未発達であった中世においては、料理に欠かすことのできないものでもあり、[[大航海時代]]に食料を長期保存するためのものとして極めて珍重された。[[ヨーロッパ]]の様々な[[料理]]に使われており、またその影響を受けた様々な料理でも使われている。このため、インドへの航路が見つかるまでは、ヨーロッパでは非常に重宝されていた。[[十字軍]]、大航海時代などの目的のひとつが胡椒であったという見方もある<ref>{{Harvnb|高橋|1990|p=247}}</ref><ref>大航海時代のポルトガルの例。{{Harvnb|高橋|1990|p=269}}</ref><ref name="house_ch1">{{Harvnb|ハウス食品|1999|loc=「スパイスは貴重品だった!」節}}</ref>。その取引における高値のさまは、[[1世紀]]のローマにおいて、[[]][[]]と胡椒が同重量で交換されたかのような表現もされ<ref>{{Harvnb|高橋|1990|pp=249-250}}</ref>、
<!--一部孫引きになってますが。
また、http://www5.ocn.ne.jp/~kosyouhp/sub2.htmlには"「一握りの胡椒は、
同じ重さの黄金もしくは、牛一頭と引き換えにされた」とされています"とあるものの、個人的に「胡椒協会」は個人サイトに準ずる懸念が有るため割愛-->中世ヨーロッパにおいては、香辛料の中で最も高価であり、貨幣の代用として用いられたりもした<ref>{{Harvnb|高橋|1990|p=251}}</ref>。<!--この代用は実際に金と胡椒が同重量で交換されたといわれ<ref name="house_ch1" />、信頼できない情報源-->輸入をしていた[[ヴェネチア]]の人々は胡椒をさして「天国の種子」と呼び、価値を高めることもしていたという<ref>{{Harvnb|高橋|1990|p=252}}</ref>。
中世ヨーロッパにおいては、香辛料の中で最も高価であり、貨幣の代用として用いられたりもした<ref>{{Harvnb|高橋|1990|p=251}}</ref>。<!--この代用は実際に金と胡椒が同重量で交換されたといわれ<ref name="house_ch1" />、信頼できない情報源-->輸入をしていた[[ヴェネチア]]の人々は胡椒をさして「天国の種子」と呼び、価値を高めることもしていたという<ref>{{Harvnb|高橋|1990|p=252}}</ref>。
 
<!--また、特に古代ギリシア、ローマ時代では一握り分の胡椒で最高の奴隷10人を雇えると言われたほどであった{{要出典|date=2013年6月}}。-->[[ゲルマン]]部族のリーダー([[西ゴート族]]の王)であった[[アラリック1世]]に[[ローマ]]が包囲された際、市民は包囲を解く代償として[[金]]5千ポンド、[[銀]]3万ポンド、絹の[[チュニック]]4千着、緋色に染めた皮革3千枚、そして胡椒3千ポンドを渡すことに同意した<ref name="Nor">{{cite book|author=J. Norwich|title=Byzantium: The Early Centuries|year=1989|publisher= Knopf|pages=134|isbn=978-0394537788}}</ref>。