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{{wiktionary}}
'''古典'''(こてん)は、古い[[書物]]、形式。また、長く[[時代]]を超えて[[規範]]とすべきもの。
 
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== 「古典」概念の生成と発展 ==
近代以降における[[日本]]([[日本語]])の「古典」という概念は[[古代中国]]に源流を持つ[[漢語]]の「'''古典'''」と古代ヨーロッパに源流を持つ「'''クラシック'''」という、由来も示している範囲も異なってはいるものの、類似した性格を持った二つの[[語|言葉]]・[[概念]]を融合させたものである。
 
古代中国における「古典」とは、もともとは単なる古い書物を意味するのではなくそこに書かれている「礼」(儀式の手順・方式)を意味する言葉であった。早い時期の使用例としては春秋左伝の注や[[後漢書]]儒子伝のものなどがある。やがて[[四書五経]]など中国古代の聖人たちの著作を示す言葉になり、時代とともにその指し示す範囲が広がってきた<ref>池田亀鑑「中国の古文献に現れた『古典』の語」『古典学入門』pp. 15-16 </ref>。
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日本における「古典」という語の早い時期の用例としては「[[太平記]]」のものがあり、そこでは中国の古典を指している。その後も日本での「古典」とは中国における「古典」と同じ「[[四書五経]]」をはじめとする古代中国の聖賢たちの書物を指す言葉として使われており、日本国内で日本人によって著された作品を指すことは無かった。[[源氏物語]]などはすでに[[平安時代]]末期には歌作において「源氏見ざる歌詠み遺恨の事なり」などとして現代的な意味での古典に類する地位を与えられていたが、これら日本の作品が「古典」と称されることは無かった。江戸時代に生じた日本の歴史と伝統を重んじた国学では、[[古事記]]など日本の伝統の尊重という観点から重要視すべき書物を指すときには、「古典」という漢語を避けてもっぱら「'''ふるきふみ'''」や「'''ふることぶみ'''」などといった和語的な表現を使用しており<ref>池田亀鑑「日本の文献に現れた『古典』の語」『古典学入門』pp. 16-17 </ref>、明治時代以降はこれらの「日本の古典」に対してしばしば「国典」という表現を使用している。
 
[[英語]]の「クラシック」及び西欧諸語における「クラシック」と同じ意味の言葉は、もともとすべて[[ラテン語]]に由来している。もともとは「[[wikt:class#英語|クラス]]」([[wikt:階級|階級]])を意味した言葉がさまざまな言語において普遍的に見られる意味の転化により「最上の階級」を意味する言葉になったと考えられている。早い時期の使用例としては[[130年]]ころ、ラテン語の著作で古典ギリシャ時代の賢人たちの著作をさして用いられている。その後も「クラシック」という語は主として古代[[ギリシャ]]・[[ローマ]]時代の作品に対して用いられてきており、[[明治時代]]の英和辞典でも「主としてギリシャ・ローマ時代に名著に用い、それ以外のものに使うこともある。」とされている<ref>池田亀鑑「クラシックの語源」『古典学入門』pp. 18-20 </ref><ref>イタリアの作家[[イタロ・カルヴィーノ]]は『なぜ古典を読むのか』([[須賀敦子]]訳、[[河出文庫]])で“古典とは、ふつう、「いま、読み返しているのですが」とはいっても、「いま、読んでいるところです」とはあまりいわない本である”といい、"古典とは、その本についてあまりいろいろ人から聞いたので、すっかり知っているつもりになっていながら、いざ自分で読んでみると、これこそは、あたらしい、予想を上まわる、かつてだれも書いたことのない作品と思える、そんな書物のことだ"という。</ref>。
 
明治時代以降の日本語における「古典」とは、上記のような中国語の「古典」と欧米語の「クラシック」という、そもそもの由来も指し示す範囲も異なるものの、類似した性格を持った二つの言葉・概念を融合させたものである<ref>池田亀鑑「クラシックと古典の結合」『古典学入門』pp. 20-22 </ref>。