「スペル星人」の版間の差分

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=== 欠番までの経緯 ===
第12話は[[1967年]][[12月17日]]に本放送が行われた。本放送時や、後に何度も行われた再放送時でも問題視する反響は何もなかった。再放送でも通常通りの放送スケジュールに組み込まれて放送され、関連商品も発売されたうえ、各種イベントにも着ぐるみが度々登場した。だが、[[小学館]]の『[[小学館の学年別学習雑誌|小学二年生]]』[[1970年]]11月号(同年[[10月]]発行)の付録「かいじゅうけっせんカード」にスペル星人の説明として「'''ひばくせい人'''」の記述があった。このカードを見た在日韓国人の女子中学生が、フリージャーナリストであり東京都[[日本原水爆被害者団体協議会|原爆被害者団体協議会]]の専門委員でもあった父・中島龍興(筆名・中島竜美)<ref>[https://web.archive.org/web/20080113130412/http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2008011101000371.html 東京新聞:中島竜美氏死去 在韓被爆者問題市民会議代表:おくやみ(TOKYO Web)](インターネットアーカイブ2008年1月13日分キャッシュ)</ref>に相談し、彼は『小学二年生』編集部に抗議文を送った。このことを、円谷プロ側の正式回答を待たずに[[朝日新聞]]が「被爆者を怪獣扱い」と報道したため、抗議運動は短期間のうちに広島・長崎の被団協などにも拡大した。他の新聞社なども同様に抗議団体の主張のみを大きく取り上げた記事を記載したので、抗議行動は全国的規模に拡がった。
 
抗議を受けた円谷プロは1970年[[10月21日]]付けで謝罪の意を表し、スペル星人に関する資料を公開しないと発表、小学館をはじめとする各出版社もスペル星人を扱わないことにした。この取り決めにより、第12話は自主的に封印されることとなった。