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}}
'''キボトシュの戦い'''(キボトシュのたたかい、{{lang-en|Battle of Civetot}})、または'''ドラコンの戦い'''は、[[1096年]][[10月21日]]に[[民衆十字軍]]を終わらせ滅ぼした戦闘<ref>{{cite book|last=Bradbury|first=Jim|title=The Routledge Companion to Medieval Warfare|url=https://books.google.com/books?id=1C54r8GgrUIC&pg=PA194|accessdate=October 21, 2013|page=194|publisher=Routledge|year=2004|isbn=9780203644669}}</ref>。
 
== 経過 ==
{{仮リンク|クセリゴルドン包囲戦|en|Siege of Xerigordon}}で大敗した十字軍に対し、ルーム・セルジューク朝はトルコ人スパイを2人派遣して、クセリゴルドンを落としたドイツ人が[[ニカイア]]も陥落させたとうわさを流した。たちまち興奮が発生し、できるだけ早くニカイアに着いて略奪に加わろうと浮き足立つ者が現れた。ルーム・セルジューク朝はニカイアへの道中で待ち伏せをした。[[隠者ピエール]]は補給を求めるために[[コンスタンティノープル]]へ戻っており、すぐ戻ってくる予定なので、十字軍の指導者の大半は彼を待つべきと議論した(ただし、隠者ピエールは帰ってこなかった)。しかし、指揮を執ったジョフロワ・ビュレル({{lang|fr|Geoffrey Burel}})は待つのは臆病だと訴え、すぐさまにトルコ人を討つべきとした<ref name="Runciman">{{cite book|last=Runciman|first=Steven|title=A History of the Crusades, Volume 1|url=https://books.google.com/books?id=uDj9sNezWzEC&pg=PA131|accessdate=October 21, 2013|page=131|publisher=Cambridge University Press|year=1987|isbn=9780521347709}}</ref>。ジョフロワが受け入れられたため、10月21日の朝に十字軍全軍である2万人は女性・子供・老人・病人を宿営地に残してニカイアへと出発した<ref name="Runciman" />。
 
宿営地から3マイルのところにあるドラコンの村({{lang|en|Dracon}})の近くで、狭く木々が生い茂る谷間に入ってくる十字軍は喧騒にざわめきながら進軍していた。十字軍は谷間に入ってきた矢先、矢の一斉射撃を受けて<ref name="Runciman"/>パニックに陥り、数分で総崩れとなり宿営地へ敗走した。十字軍の大半が殺戮されたが(死者を6万人以上とする文献もあった<ref>{{cite book|last=Kostick|first=Conor|title=The Social Structure of the First Crusade|url=https://books.google.com/books?id=HQEM2MzGP58C&pg=PA109|accessdate=October 21, 2013|page=109|publisher=BRILL|edition=Illustrated|year=2008|isbn=9789004166653}}</ref>)。しかし、女性、子供、そして投降した者は助命された。ジョフロワなど生き残った3千人は近くの放棄された城跡に逃げ込んだ<ref name="Runciman"/>{{rp|132}}。やがて、{{仮リンク|コンスタンティノス・エフォルベノス・カタカロン|en|Constantine Euphorbenos Katakalon}}率いる[[東ローマ帝国]]軍が船でやってきて包囲を解き<ref>{{cite book | editor-first = Alexander | editor-last = Kazhdan | title = Oxford Dictionary of Byzantium |page=64 | publisher = Oxford University Press | location = New York | year = 1991 | isbn = 978-0-19-504652-6}}</ref>、生き残った数千人はコンスタンティノープルへ帰還した。
 
== 脚注 ==