「フランス革命戦争」の版間の差分

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== 経過 ==
=== 祖国は危機にあり! ===
[[画像ファイル:Bataille de Valmy ag1.jpg|right|thumb|250px|ヴァルミーの戦い]]
デュムーリエは[[南ネーデルラント]]への侵攻作戦を計画していた。現地住民はフランス軍に呼応して皇帝の支配に対して蜂起するであろうという期待もあった。しかし、そう都合よくはいかなかった。革命によってフランス軍の機構も混乱していたのである。士官たちは貴族階級であるので革命政府に非協力的であり、兵士たちの規律も緩み、敵前逃亡したり、革命にことよせて上官を殺害するといった行為に及んだ。
 
マリー・アントワネットにいたっては敵方にフランス軍の作戦を漏らしていた。プロイセンがフランスへ宣戦布告し、[[カール・ヴィルヘルム・フェルディナント・フォン・ブラウンシュヴァイク|ブラウンシュヴァイク公爵]]の率いるプロイセン軍は7月に国境を越え[[ヴェルダン]]を陥落させた([[ヴェルダンの戦い (1792年)|ヴェルダンの戦い]])。ブラウンシュヴァイク公は、亡命貴族の[[ルイ5世ジョゼフ・ド・ブルボン=コンデ|コンデ公]]が作成した、王政を復古させ反対者は死刑とするという宣言を発表する。
 
7月11日、立法議会は「祖国は危機にあり!」との宣言を発し、宣言に応じてフランス各地から義勇兵が[[パリ]]に集結した。このとき[[マルセイユ]]からやって来た義勇兵が歌っていた軍歌が広まり、後に「[[ラ・マルセイエーズ]]」と名づけられる。パリ市民と義勇兵は、フランス軍の劣勢の原因はルイ16世とマリー・アントワネットがオーストリア・プロイセン軍と内通していると考え、8月10日に[[テュイルリー宮殿]]を襲撃し、王権を停止して国王一家を[[タンプル塔]]へ幽閉した([[8月10日事件]])。