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{{基礎情報 君主
'''ウィティギス'''('''Vitiges''' ? - [[540年]])は、[[東ゴート王国]]の第5代国王。[[東ローマ帝国]]から認められた者としては、東ゴート王国最後の[[イタリア王]]である。[[イタリア語]]名は、'''ヴィティージェ''' (Vitige) 。
| 人名 = ウィティギス
| 各国語表記 = Vitiges
| 君主号 = 東ゴート王
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 在位 = [[536年]] - [[540年]]
| 戴冠日 =
| 別号 =
| 全名 =
| 出生日 =
| 生地 =
| 死亡日 = [[540年]]
| 没地 =
| 埋葬日 =
| 埋葬地 =
| 継承者 =
| 継承形式 =
| 配偶者1 = マタスンタ
| 配偶者2 =
| 子女 =
| 王家 =
| 王朝 =
| 王室歌 =
| 父親 =
| 母親 =
| 宗教 =
| サイン =
}}
'''ウィティギス'''('''Vitiges''' ? - [[540年]])は、[[東ゴート王国]]の第5代国王(在位:[[536年]] - 540年)。[[東ローマ帝国]]から認められた者としては、東ゴート王国最後の[[イタリア王]]である。[[イタリア語]]名は、'''ヴィティージェ''' (Vitige) 。
 
== 生涯 ==
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[[540年]][[5月]]、ウィティギスは首都ラヴェンナを無血開城し、マタスンタと共に身柄を拘束され、他のゴート人貴族や降伏した軍人たちとともに[[コンスタンティノポリス]]に移送された。マタスンタは、ユスティニアヌス帝の従兄弟[[ゲルマヌス・ユスティヌス]](? - [[550年]])と再婚し、息子・ゲルマヌス(550年 - [[605年]])を儲けている。
 
== 家族 ==
ウィティギスの先妻との息子はウィティギス自身や王妃マタスンタ、[[テオドリック]]の姪アマラベルガがテューリンゲン王ヘルマンフリートとの間に生んだ息子と娘、更に[[西ゴート]]王[[テウディス]]の甥でヴェローナの指揮官だったイルディバルド(ウィティギスの後に[[東ゴート]]王となる)の子供と同じく、他の貴族たちとともにコンスタンティノポリスに送られた。