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=== 東西統一後 ===
[[1990年]]の[[ドイツ再統一|東西ドイツ統一]]によりアデナウアーらまず名目上の首都[[ベルリン]]にめられ通り。その後移行措置を経[[1991年]]には[[ドイツ連邦議会|連邦議会]]におい僅差で首都機能のベルリンに復帰し移転決議が可決された。しかし、長年首都ボンの地域経済への配慮に加え、[[欧州連合|EU]]して[[北大西洋条約機構|NATO]]務めを果たした歴史本部のある[[ブリュッセル]]近いという利点を活用する配慮からため、[[1994年]]の「ベルリン・ボン法(「ドイツ統一のための1991年6月20日の連邦議会の決議」実施に関する法律)」によって、ボンは「'''連邦市''' (Bundesstadt)」であると規定され、連邦首都 (Bundeshauptstadt)ベルリンと並んで国家の中枢機能を引き続き保持することが定められた。それにより、ボンには教育学術省、郵政省、環境省、食糧農林省、経済協力省、国防省、研究技術省、保健省、カルテル庁、保険庁、金融機関庁、保険制度監督庁、食糧森林庁、農業市場制度庁、会計検査院、中央鉄道庁などの省庁が置かれることになった。
 
それにより、6つの省をボンに残留させることに加え、既にベルリンにあった連邦政府機関のいくつかを逆にボンに移転し、さらに[[ライン=マイン地方]]にあった連邦政府機関をボンに移転集約させることとなった。結果、ボンには教育学術省、郵政省、環境省、食糧農林省、経済協力省、国防省、研究技術省、保健省、カルテル庁、保険庁、金融機関庁、保険制度監督庁、食糧森林庁、農業市場制度庁、会計検査院、中央鉄道庁などの省庁が置かれることになった。
 
加えて、1995年から10年間、年間15億[[ユーロ]]の補償金が連邦よりボンに支払われ、これを元にIT産業等の育成・誘致が行われた。
 
== 音楽 ==