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ボン

ドイツの都市

ボンBonn)は、ジーベンゲビルゲ山脈の北部にあるライン川沿いのケルンの南約20 km に位置する、ノルトライン=ヴェストファーレン州に属するドイツ連邦共和国の(19番目に大きい)都市である。人口318,809人(2015年現在)。

ボン
Bonn
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ボンの市章
市章
位置
ドイツ内のボンの位置の位置図
ドイツ内のボンの位置
座標 : 北緯50度44分 東経7度6分 / 北緯50.733度 東経7.100度 / 50.733; 7.100
歴史
軍駐屯地 紀元前1世紀
行政
ドイツの旗 ドイツ
  ノルトライン=ヴェストファーレン州
 行政管区 ケルン行政管区de
 郡 独立市
 市 ボン
上級市長 Ashok-Alexander Sridharan
ドイツキリスト教民主同盟
地理
面積  
  市域 141.22 km2
標高 45.6 – 194.8 m
人口
人口 (2017年12月31日現在)
  市域 325,490人
    人口密度   2,305人/km2
  備考 Amtliche Bevölkerungszahlen auf Basis des Zensus vom 9. Mai 2011
その他
等時帯 中央ヨーロッパ時間 (UTC+1)
夏時間 中央ヨーロッパ夏時間 (UTC+2)
郵便番号 53111–53229
市外局番 0228
公式ウェブサイト : http://www.bonn.de/

分断時代の1949年から1990年まで西ドイツ首都であり、ドイツ再統一後も首都機能を分担する。

1288年から1803年までケルン大司教の在所であり、1818年ボン大学が設置された後は小さな文教都市という位置づけであった。作曲家ベートーヴェンの生誕地・シューマンの終焉の地としても知られている。

目次

地勢編集

ライン川沿いに位置する。50キロほど南東にコブレンツ、25キロほど北西にケルン、35キロほど北にレーヴァークーゼンが位置している。

歴史編集

ケルト人の集落があったが、前1世紀になるとローマ帝国の駐屯地となった。13世紀よりケルン大司教の居住地となった。18世紀末、ナポレオンによって占領されたが、19世紀初頭のウィーン体制の発足とともにプロイセンの支配下におかれた。典型的な文教都市であったが、第二次世界大戦中は1944年2月〜1945年2月までの間に72回も空襲を受け、伝統あるボン大学も全焼するなど被害を受けた。

西ドイツの首都として編集

ドイツ国の首都であったベルリンは、大戦後には東ドイツ内の飛地と化し、連合国軍の占領下でもある西ベルリン西ドイツの首都たることは事実上不可能であった。ボンが暫定首都に選ばれたのは、初代首相コンラート・アデナウアーの意向が大きく影響を与えたとされる。アデナウアーら主要政治家は、将来東西ドイツが統一された暁にはベルリンが再び首都になるべきだと考えており、フランクフルト・アム・マインハンブルクといった大都市では、首都としての発展がいずれ恒久的な既成事実・既得権益として定着し、ベルリンへの遷都が困難になりかねないという恐れが予見された。そこで小規模な古くからの文教都市で、なおかつ地理的にも西ドイツの中央部に位置していたボンに白羽の矢が立った。

1969年にはバート・ゴーデスベルク(Bad Godesberg)と合併している。この頃より、早期の東西ドイツ統一は期待できないとの認識が強まり、恒久的な首都機能の整備が行われるようになった。

東西統一後編集

1990年東西ドイツ統一により、ベルリンへの遷都が政治日程に浮上した。一方で、オランダのように名目上の首都をベルリンと定め、実質的な首都機能はボンに残すべきであるとする主張もドイツ南西部を中心に支持を集めていた。議論の末、1991年連邦議会において首都機能のベルリン移転決議が可決された[1]。しかし、ボンの地域経済への配慮に加え、EUNATOの本部のあるブリュッセルに近いという利点を活用するため、1994年の「ベルリン・ボン法(「ドイツ統一のための1991年6月20日の連邦議会の決議」実施に関する法律)」によって、ボンは「連邦市 (Bundesstadt)」であると規定され、連邦首都 (Bundeshauptstadt)ベルリンと並んで国家の中枢機能を引き続き保持することが定められた。

それにより1998年11月の大統領府移転を皮切りに、連邦議会1999年9月7日に移転)、連邦参議院2000年9月29日に移転)、首相府2001年5月2日に移転)および9の省庁をベルリンに移転し[2]、約11,500人の職員がベルリンに転勤した[3]。一方、6つの省をボンに残留させることに加え、既にベルリンにあった連邦政府機関のいくつかを逆にボンに移転し(ベルリンからボンに転勤した職員数は約4,400人)、さらにライン=マイン地方にあった連邦政府機関をボンに移転集約させることとなった(職員数約2,300人)[3]。結果、ボンには教育学術省、環境省、食糧農林省、経済協力省、国防省、保健省、カルテル庁、保険庁、金融機関庁、保険制度監督庁、食糧森林庁、農業市場制度庁、会計検査院、中央鉄道庁などの省庁が置かれることになった。大統領首相の官邸もベルリンの官邸とは別にボン滞在時に用いる第二官邸として維持され、ベルリンに移転した省庁の支所もボンに設けられている(ボンに置かれた省庁の支所もベルリンに設けられる)。2011年時点で、連邦官僚18,000人のうち8,000人がボンに勤めている[4]

加えて、1995年から10年間、年間15億ユーロ[5](約28億マルク[3])の補償金が連邦よりボンに支払われ、これを元にIT産業等の育成・誘致が行われた。国営事業を前身とする民営会社であるドイツテレコムドイツポストポストバンクドイツ語版もボンに本社・本店を置く。

また、国連キャンパスドイツ語版プロジェクトにより、旧議員会館ビルのランガー・オイゲンドイツ語版を全面改装し、2006年より持続可能な開発を管轄する国連機関を賃料無償で入居させている。これにより、2014年までに18の国連機関が設置され(ドイツ全体にある国連機関は27)、ボンにおいて約1,000人のスタッフが雇われている[6]

首都機能移転開始の1994年から2011年の間に、ボン都市圏における雇用は14.4%増加している[4]

音楽編集

ベートーヴェンの生家である「ベートーヴェン・ハウス」がある。音楽家パブロ・カザルスフランコ政権を支持する国(西ドイツを含む)への訪問を生涯拒んだが、ベートーヴェン・ハウスだけは「この家はドイツでの治外法権である」と述べている。

また、中心地から少し離れたエンデニッヒにはシューマンが最期を迎えた療養所を改装したシューマン記念館がある。シューマンと妻のクララは市街にあるアルター墓地に埋葬されている。ベートーヴェンの母や、シラーの妻シャルロッテが埋葬されているのも同じ墓地である。

交通編集

ボンは3つのアウトバーン並びに高速鉄道Inter City Expressを含む2つの鉄道路線によって結ばれている。この都市はケルンジークブルク(ICE駅が所在する)及び、バート・ホンネフ(Bad Honnef)への路線としてボンLRT輸送システムが運行されている。また、バスも運行されている。

ボンの国際空港は多くのヨーロッパの都市と低価格で結ばれていて、アメリカ合衆国ニュージャージー州にあるニューアーク・リバティー国際空港ニューヨーク市)への直行便(コンチネンタル航空)が運航されているケルン-ボン空港である。

 
大聖堂
郵便番号: 53111–53229 (旧: 5300)
市外局番: 0228
ナンバープレート: BN
自治体コード: 05 3 14 000
UN/LOコード: DE BON
市の構成: 4 市区、51 街区
市庁舎の住所: Berliner Platz 2
53103 Bonn
負債: 914,850,000 €
(2006年1月19日現在)
失業率: 8.8 %
(2006年7月)
外国人: 13.65 %
(2005年12月31日現在)


スポーツ編集

姉妹都市編集

出身の有名人編集

脚注編集

  1. ^ 賛成338、反対320。 Bonn to Berlin move still controversial The Local (2011年6月15日)
  2. ^ https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/05000436/05000436_003_BUP_0.pdf
  3. ^ a b c ドイツの首都機能移転 - 国会等の移転ホームページ - 国土交通省 2017年5月5日閲覧
  4. ^ a b Memo From Berlin: The Fate of Germany’s Two Capital Cities ニューヨーク・タイムズ (2011年6月23日)
  5. ^ ペーター・ロンドルフ経済・科学担当公使へのインタビュー 国土交通省 国土計画局 首都機能移転企画課(2009年12月2日)
  6. ^ Stadt Bonn - Organisationen der Vereinten Nationen in Bonn ボン市 2017年5月7日閲覧(同5月3日最終更新の版)

関連項目編集

 
ボン大学

外部リンク編集