削除された内容 追加された内容
Wikigurasi (会話 | 投稿記録)
読み修正
55行目:
 
戦車兵だったカラシニコフは設計者としての専門的な教育を受けていなかったため、AK-47設計の際も正しい設計図面を描けなかった。彼に代わって図面を描いたのは、後に妻となる女性技師エカテリーナ・ヴィクトロヴナ・モイセーエフ(Ekaterina Viktorovna Moiseyeva)であった{{sfn|ホビージャパン|2014|p=66}}<ref>{{Cite web |author= |date= |url= http://en.museum-mtk.ru/armourers/kalashnikov/biography/ |title= Biography |work= |publisher= M.T. Kalashnikov Museum and Exhibition Small Arms Complex |accessdate=2015-04-28}}</ref>。
当初の[[制式名称]]は「'''7.62mm アフトマト・カラシニコバ'''」であり、「'''AK-47'''」の呼称は、後にいくつもの改良型が登場したため、それらと区別するためであった<ref name="カラシニコフ">[[ホビージャパン]]『カラシニコフ・ライフルとロシア軍の銃器たち』70頁、カラシニコフ本人による証言</ref>。
{{-}}
<div align="right">[[#toc|目次へ移動する]]</div>