「ジュリアーノ・ジェンマ」の版間の差分

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幼い頃は母の生まれ故郷北イタリア、[[レッジョ・エミリア]]で暮らす。小さい頃から肉体労働などをして家計を支え、高校時代はボクシングや器械体操で数々の賞をとった。卒業後に兵役に就く。その後バーテンダー、セールスマン、消防士などをした後に1957年演劇学校ビデス・フィルムに入学し、アメリカ映画『[[ベン・ハー (1959年の映画)|ベン・ハー]]』にエキストラ出演(当初は[[チャールトン・ヘストン]]の[[スタンドイン]]に予定されていたものの191cmのヘストンより6cm背丈が足りなかったため)。ほか、『タイタンの逆襲』や[[ルキノ・ヴィスコンティ]]監督の『[[山猫 (映画)|山猫]]』などにも出演。
 
1965年、'''“モンゴメリー・ウッド”'''の芸名で[[マカロニ・ウェスタン]]『[[夕陽の用心棒]]』に主演し、これが世界的にヒット。同時期に芸名を本名のジュリアーノ・ジェンマへと変える。その後も『[[荒野の1ドル銀貨]]』、『[[南から来た用心棒]]』、『[[星空の用心棒]]』、『[[怒りの荒野]]』といったマカロニ・ウェスタンに立て続けに主演し、世界の大スターへ。
 
私生活では人気が出る前からのマネージャーのナタリア・ロベルティと結婚している。