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仙石 久信せんごく ひさのぶ、生年不詳 - 元禄12年1月5日1699年2月4日))は江戸時代前期の大身旗本。幕府大目付をつとめた仙石久尚の兄。通称は右近、官位は従五位下、大和守・因幡守・壱岐守。

旗本仙石因幡守久邦(6000石)の長男として誕生した。慶安元年はじめて将軍徳川家光に拝謁。天和元年(1681年)12月23日に父の遺領のうち5000石の家督を相続。1000石は弟仙石久尚に分け与えた。天和2年(1682年)3月5日に父の遺品尻懸則長の刀を献上。貞享元年(1684年)9月7日に小姓組番頭。12月25日に従五位下大和守に叙任する。元禄元年(1687年)4月9日、留守居役に転じた。元禄5年(1691年)1月11日、側衆となり、元禄10年(1696年)2月14日、職を辞した。元禄12年(1699年)1月5日死去。家督は長男久治が次いだ。享年62。法名は常照。駒込の養源寺に眠る。妻は安部摂津守信盛の娘。

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