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[[ファイル:Fushimi momoyaja jyou 25.jpg|thumb|伏見城の金箔瓦]]
[[近世]]に入ると、瓦は、それまでは仮設建物が多かった[[城郭]]の建築物へも用いられるようになる。特に、[[安土桃山時代]]には[[鯱]]瓦や鬼瓦、軒瓦に金箔を施した'''金箔瓦'''もあった。[[文禄・慶長の役]]で[[朝鮮]]から伝わったといわれる軒平瓦の瓦当に逆三角形の板が付いた'''滴水瓦'''もあった。江戸時代前後には屋根の軽量化を図るために銅や鉛の金属で作られた'''金属瓦'''も用いられ始めた。また、[[延宝]]4年([[1674年]])に瓦職人西村半兵衛が丸瓦を必要としない'''桟瓦'''を開発したと言われている。これにより、瓦を用いる量が減り、瓦を用いるための建物強度のハードルが低くなった。さらに、太平の世の課題として火事対策が[[幕府]]や[[藩]]の急務となり、耐火建築用品として瓦の使用が奨励され、一般にも普及することになった。また、'''熨斗'''(のし)瓦は地震時に、自己破壊型の制振装置となっている。(熊本城)
 
ただし、日本海側の積雪地帯を中心とする寒冷地では、粘土瓦は内部の水分が凍結して破損、剥落することが多く、屋根の積雪への対策もあり、瓦葺きはあまり普及しなかった。これは現代でもみられる現象で、[[北日本]]の家屋では金属板葺き(瓦棒・平板(一文字など)など)、スレート葺きなどが多い。