「チャールズ・グッドイヤー」の版間の差分

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グッドイヤーは[[1860年]][[7月1日]]にニューヨークの[[フィフス・アヴェニュー・ホテル]]で死去し、故郷ニューヘブンの墓地に埋葬された。彼が死去したとき、まだ20万ドルの借金が残った状態だった。しかし彼の家族は、特許収入で以後安定した生活を送ることができた。息子のチャールズ・グッドイヤー・ジュニアは発明の才能を受け継ぎ、その後[[グッドイヤー・ウェルト製法]]という靴の製造機械を開発している。1976年には、グッドイヤーはオハイオ州アクロンの「発明者の殿堂」にノミネートされた。
 
グッドイヤー自身も一族も、売上高10億ドル以上を誇る世界的タイヤ製造会社・グッドイヤー・タイヤ・アンド・ラバー・カンパニーとの関係はない。現在、彼と関係のある会社は、グッドイヤーが管理者として勤務していた小企業を吸収合併した{{仮リンク|ユナイテッド・ステーツ・ラバー|en|United States Rubber Company}}である。
 
== 外部リンク ==