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アレニウスは2度結婚している。1度目(1894年から1896年まで)では息子を1人もうけている。2度目(1905年から1927年まで)では、息子を1人と娘を2人もうけている。
 
1900年ごろ、アレニウスは[[ノーベル賞]]の創設に関わった。1901年、スウェーデン王立科学アカデミーの会員に選ばれたが、これには反対の声もあった。その後はノーベル委員会の物理学部門の委員となり、化学部門でも事実上の委員として活動した。彼はその立場を利用して友人([[ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ]]、[[ヴィルヘルム・オストヴァルト]]、[[セオドア・リチャーズ]])にノーベル賞を受賞させるよう誘導し、敵対する科学者([[パウル・エールリヒ]]、[[ヴァルター・ネルンスト]])には受賞させないよう画策した(画策が成功したわけではない)<ref>Patrick Coffey, Cathedrals of Science: ''The Personalities and Rivalries That Made Modern Chemistry'', Oxford University Press, 2008,</ref>。1903年、スウェーデン人初の[[ノーベル化学賞]]を受賞。1905年、ストックホルムにノーベル物理学研究所が創設されると、所長に就任し、1927年まで務めた。1910年には[[王立協会]][[フェロー外国人会員]]に選ばれている<ref>{{FRS |code = NA4861 |title = Arrhenius; Svante August (1859 - 1927) |accessdate = 2011-12-11 }}</ref>。
 
=== 晩年 ===