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[[1988年]]にレイナードは、当時としては初めてのフル[[カーボン]]モノコックで国際F3000に参戦。デビューレースでデビューウインを飾った。当時の国際F3000は[[ローラ]]と[[マーチ (F1)|マーチ]]がシェアを誇っていたカテゴリーであったが、レイナードの速さに他のチームがレイナードへマシンチェンジを行い、同年の国際F3000では[[ロベルト・モレノ]]がチャンピオンとなった。また全日本F3000にもシーズン途中に登場して[[鈴木亜久里]]によってチャンピオンになった。
 
国際F3000では[[1989年]][[ジャン・アレジ]]がチャンピオンとなり、2年連続でチャンピオンマシンとなった。[[1990年]]はライバルのローラを使用した[[エリック・コマス]]にチャンピオンを奪われたが、[[1991年]]([[クリスチャン・フィッテバルディ]])・[[1992年]]([[ルカ・バドエル]])・[[1993年]]([[オリビエ・パニス]])[[1994年]]([[ジャン・クリストフ・ブイヨン]])・[[1995年]]([[ビンチェツオ・ソスピリ]])で5年連続でチャンピオンマシンとなる。
 
F3000の参戦費用の増加を防止する為にFIAが[[ワンメイク]]シリーズとする事を決めて、入札の結果ローラが落札したので[[1996年]]以降は国際F3000はローラ・ザイテックジャッドのワンメイクレースとなったため、同社は国際F3000からの撤退を余儀なくされた。