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{{参照方法|date=2017年9月3日 (日) 05:20 (UTC))}}
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battle_name=ゼラの戦い
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[[紀元前48年]]12月、ファルナケス2世は小アジアに駐屯していたカエサル派の[[グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス]]が指揮を取る[[第22軍団デイオタリアナ|第22軍団]]が主体のローマ軍を破って、[[コルキス]]、[[アルメニア王国|アルメニア]]並びに[[カッパドキア]]へと勢力を拡大した。それに対して、[[ナイルの戦い (紀元前47年)|ナイルの戦い]]で勝利を収めて以降、[[アレキサンドリア]]に滞在していたカエサルは[[シリア属州]]に入って甥の[[セクストゥス・ユリウス・カエサル]]と数日過ごした後、小アジアへと入った。
 
カエサル率いるローマ軍の兵力について、2つの[[コホルス]]から構成された[[第6軍団フェッラタ|第6軍団]]、第22軍団、第36軍団などの[[ローマ軍団]]から構成([[塩野七生]]はカエサル指揮下の1個軍団とドミティウス・カルウィヌスが有していた1個軍団、ゲルマン騎兵800、周辺の同盟国からの[[アウクシリア]]から構成された合計20,000弱としている<ref>塩野七生『ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以後』(文庫版で12巻, P.18)</ref>)、ポントス軍は領内から徴兵した歩兵部隊を主力として、他に騎兵や傭兵部隊から成る約20,000の軍であったとされる。
 
紀元前47年8月、両軍はゼラで対峙した。ローマ軍は小高い丘の上に陣地を構えたため、ポントス軍は丘を駆け上ってローマ軍へ攻撃を仕掛けたが、ローマ軍はポントス軍の攻撃を凌いだ。やがて、ポントス軍の攻撃が鈍った頃合を見て、ローマ軍は丘を駆け下りてポントス軍を攻撃した。結果としてローマ軍は4時間ほどの戦いでポントス軍を破った<ref>Goldsworthy, A. Caesar, pp. 446-447</ref>。