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== 概要 ==
975年にランス大司教がその所領をコムト・デ・ユブロワ伯ウードといわれる人物1世に割譲した。このコムト・デ・ユード1世がクシーの初代領主とされる<ref name=T7>タックマン、p. 7</ref>。1059年にはオーブリー・ド・クシーがノジャン=ス=クシーのベネディクト会修道院を建立した<ref name=T7 />。12世紀のアンゲラン1世以降14世紀まで男系子孫によりクシーとそれに付随する領地が継承された。アンゲラン1世の息子トマは母方よりマールおよびラ・フェールを相続し、クシー家の領地に加えた<ref>タックマン、p. 9</ref>。1223年にはアンゲラン3世7年かけてクシーに城を建設大規模に改築した<ref>タックマン、p. 4</ref>。1340年に生まれた[[アンゲラン7世・ド・クシー|アンゲラン7世]]は捕虜としてイングランドにあった間に、イングランド王[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の娘イザベラと結婚した。しかしそのイザベラとも、二度目の妻イザベル・ド・ロレーヌとの間にも男子を儲けることができず、アンゲラン7世が1397年に死去した後は長女マリーが継承したものの、マリーは所領の大半をオルレアン公[[ルイ・ド・ヴァロワ (オルレアン公)|ルイ]]に売却し、クシー家は断絶した。
 
== 系図 ==