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[[1987年]]、[[音楽プロデューサー]]として活動再開。新人女性演歌歌手[[大和さくら]]、[[キム・ヨンジャ]]のプロデュースを担当する。[[1989年]]、『[[サンデープロジェクト]]』([[テレビ朝日]])に「普通のおばさん代表」として登場。コメンテーターおよびスポーツコーナーのレポーターを務めるが、この頃同年6月に52歳で亡くなった[[美空ひばり]]の訃報に触れ、印象的なコメントを番組内で発表。これを機に歌手復帰を決心する。またこの年の『[[第40回NHK紅白歌合戦]]』に出場し、「アンコ椿は恋の花」を歌唱。引退後、丸5年ぶりのステージだったが、以前と変わらぬ歌声を披露し、復帰の声が一層高まる。翌[[1990年]]、歌手活動の完全復帰を発表。従来の演歌にとらわれない幅広い作品も歌うようになる。
 
[[2008年]]、新東京国際空港2期工事予定地内にある反対派農家の庭で開かれた「[[三里塚闘争|三里塚]]の星空コンサート」に出演した<ref>{{Cite web |date=2004-12-08|url=http://www.hanae.ne.jp/inage/0412_02.htm |title= 千葉の歴史検証シリーズ28 成田国際空港「血と涙の歴史」 6 |publisher=稲毛新聞 |accessdate=2017-09-25}}</ref>。このコンサートは反対派だけでなく周辺市町や[[新東京国際空港公団]]が支援して開催された。(→[[成田空港問題]])
 
[[2008年]]、デビュー45年目を迎え、「3大劇場座長公演」を行った。個人事務所の社長で長年私生活でもパートナーであった[[中村一好]]が死去<ref>[http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080408-345547.html 都はるみの恋人、中村一好さん急死 - 芸能ニュース : nikkansports.com]</ref>。[[2009年]]、個人事務所の「プロデュースハウス都」から、古巣の「[[サンミュージックプロダクション]]」へ復帰した。