「日本人のノーベル賞受賞者」の版間の差分

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[[脊髄]][[副交感神経]]の発見で[[1930年代]]に6度ノーベル賞候補となるも受賞を逃した[[呉建]]について、[[国連大使]]を歴任した[[国連大使#日本の国連大使|松平康東]]は、当時[[日本]]が[[枢軸国]]であったことから受賞に至らなかったとしている<ref>[[冲中重雄]]「[http://okiken.tokyo/history/book1/index04.php 4. 呉先生のシゴキ ― 国際神経学会へ随行]」『[[私の履歴書]] 第44集』日本経済新聞社、1971</ref>。
 
[[1970年]]に[[大澤映二]]・[[北海道大学]]理学部化学第二学科助教授(当時)は[[フラーレン]] (fullerene C60) の存在を理論的に予言したものの、肝心の論文を邦文日本語でのみ発表しており英文では発表していなかったため、[[1996年]]のノーベル賞を逃した。この顛末は当時の[[ネイチャー]](第384号、96年12月26日発売)にも掲載された{{r|Kagaku|Aromaticity}}。
 
[[1998年]]、[[スーパーカミオカンデ]]で[[ニュートリノ振動]]を確認し、ニュートリノの質量がゼロでないことを世界で初めて示した[[戸塚洋二]]も有力なノーベル賞候補と目されていたが、[[2008年]]に死去した。彼の後輩で教え子でもある[[梶田隆章]]が[[2015年]]に物理学賞を受賞した際には、もし戸塚が生きていれば共同受賞は確実だったと惜しまれた{{r|Totsuka}}。
 
ほかに、2000年代頃から、作家の[[村上春樹]]がノーベル賞最有力候補としてしばしばメディアに取り上げられているが<ref>[http://www.huffingtonpost.jp/2013/10/07/haruki-nobel-prize_n_4060781.html 村上春樹がノーベル賞を取れない理由 海外メディアが分析] - ハフィントンポスト、2013年10月8日</ref><ref>[http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20131011/254476/ 今年も村上春樹は取れなかった 書店員が見たノーベル文学賞をめぐる狂騒曲] - 田中大輔、日経ビジネスオンライン、2013年10月15日</ref><ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20141012_281391.html 「村上春樹はノーベル文学賞をいつとるのか」についての考察] - NEWSポストセブン、2014年10月12日</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20161006-OYT8T50059.html 村上春樹はノーベル賞を受賞できるか] - 鵜飼哲夫、読売オンライン、2016年10月11日</ref><ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/140646 村上春樹がノーベル文学賞を取れない理由] - 栗原裕一郎、東洋経済オンライン、2016年10月18日</ref>、2017年現在、受賞していない。
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[[ノーベル物理学賞]]では、[[本多光太郎]]が1932年の候補に日本人初の候補者に挙がっている。このほか、[[西島和彦 (物理学者)|西島和彦]](1960年 - 1961年、1964年、1965年)、[[中野董夫]](1961年)、[[大貫義郎]](1965年 - 1966年)、などがいる。
 
彼ら以外に[[坂田昌一]]は1969年にノーベル物理学賞候補者となっていたことがほぼ確実視されているが、現在公表されているノーベル財団の公式な資料に基づくものではない。
 
[[ノーベル化学賞]]では、1911年に[[秦佐八郎]]が日本人初の候補者に挙がっている。このほか、[[鈴木梅太郎]](1936年)、[[朝比奈泰彦]](1951年 - 1952年)、油脂化学を専門とした[[外山修之]](1958年)、[[水島三一郎]](1962年、1964年)、九州大学名誉教授の[[山藤一雄]](1964年)などがいる。
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[[ノーベル文学賞]]では、1947年、1948年に[[賀川豊彦]]が日本人初の候補者に挙がっている。このほか、[[西脇順三郎]](1958年、1960年 - 1966年)、[[谷崎潤一郎]](1958年、1960年 - 1965年)、[[三島由紀夫]](1965年)などがいる。
 
[[ノーベル平和賞]]では、1909年に[[有賀長雄]]が日本人初の候補者に挙がっている。[[渋沢栄一]](1926年 - 1927年)、[[賀川豊彦]](1954年 - 1956年、1960年)、[[岸信介]](1960年)、[[鈴木大拙]](1963年)、[[吉田茂]](1965年 - 1966年)、[[湯川秀樹]](1966年)が候補となっていたことがノルウェー・ノーベル委員会の公表した資料により明らかになっており<ref name="yoshitake1">吉武信彦「{{PDFlink|[http://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/kikanshi/ronbun17-2/02yoshitake.pdf ノーベル賞の国際政治学―ノーベル平和賞と日本:1960年代前半の日本人候補―]}}」『地域政策研究』第17巻2号、[[高崎経済大学]]、pp.1 - 23</ref><ref>吉武信彦「{{PDFlink|[http://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/dp/dp16-01.pdf ノーベル賞の国際政治学――ノーベル平和賞と日本:吉田茂元首相の推薦をめぐる1966年の秘密工作――]}}」高崎経済大学地域政策学会、2016年</ref><ref>[http://www.nobelprize.org/nomination/archive/list.php Nomination Database] - ノーベル賞公式サイト</ref>、吉田については関係者の残した手記などから1967年にも推薦が行われたとみられている<ref name="yoshitake1"/>。
 
== 日本における賞金にかかる所得税の扱い ==