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[[1928年]]、読売新聞社の第1回文芸特置員という名目で[[パリ]]に約1年滞在するも、ほとんどの時間を[[中里介山]]著『[[大菩薩峠 (小説)|大菩薩峠]]』を読みふけって過ごす<ref>「文芸特置員」の肩書きは、潤とパリで親交のあった[[松尾邦之助]]が後に引き継ぎ、松尾は正式なパリ特派員からパリ支局長となっている。</ref>。帰国後も[[マックス・シュティルナー|マックス・スティルネル]]著『唯一者とその所有』など著訳書の出版、詩文の雑誌掲載は相次いだものの、[[1932年]]頃から、2階から「俺は[[天狗]]だぞ」と叫びながら飛び降りたりパーティー会場で「クワッ、クワッ」と言いながらテーブルの上を駆け回るなど精神異常の兆候が現れ、やがて精神病院への入院・虚無僧姿での放浪・警察による保護の繰り返しの日々となる。
 
1933年、「変な頭」という文章に、「自分も幾度か「[[歎異抄]]」という書をくりかえして読んで、[[親鸞]]の説に傾倒しているのだが、いかんせん未だに親鸞のような絶大な信仰を獲得することが出来ないから、自分ではなさけないことだと考えているばかりで、どうかしてそのような「安心立命」を得たいものだとひそかに念じてはいるのである。」などと書き、仏教に救いを求めていることがうかがわれる。
1933年、「変な頭」という文章に、
「自分も幾度か「[[歎異抄]]」という書をくりかえして読んで、[[親鸞]]の説に傾倒しているのだが、いかんせん未だに親鸞のような絶大な信仰を獲得することが出来ないから、自分ではなさけないことだと考えているばかりで、どうかしてそのような「安心立命」を得たいものだとひそかに念じてはいるのである。」などと書き、仏教に救いを求めていることがうかがわれる。
 
[[1944年]]ようやく放浪を終え東京都[[淀橋区]][[上落合 (新宿区)|上落合]]のアパートの一室に落着くが、[[11月24日]]室内で死亡しているのを発見された。死因は餓死であるとみられる。戒名は醇好栄潤信士<ref>大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)152頁</ref>
 
墓は染井・西福寺。墓碑はパリで親交のあった松尾邦之助らによって建立された。