「都道府県庁所在地」の版間の差分

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Fujikawa Kazuto (会話 | 投稿記録)
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[[1878年]](明治11年)になると、[[郡区町村編制法]]によって大きな人口密集地に[[郡区町村編制法#区|区]]が置かれた。[[1889年]](明治22年)[[4月1日]]には、区に替わって市([[市制]])が置かれたが、道府県庁所在地全てが「市」とはなっていない。しかし、県庁所在地ではそれぞれ人口が増え、次々と市となっていった。特例となっていた[[那覇区]]([[1896年]] - [[1921年]])、[[札幌市|札幌区]]([[1899年]] - [[1922年]])がそれぞれ市となり、[[1934年]]([[昭和]]9年)[[2月11日]]に[[埼玉県]][[北足立郡]][[浦和町]]が市制を敷いて、全ての道府県庁所在地が市となったことにより、「道府県庁所在'''市'''」と言える状況になった。しかし、[[1943年]](昭和18年)[[7月1日]]に[[東京市]]が都制の下に消滅し、都庁所在地(後述)が[[1990年]]([[平成]]2年)までは[[千代田区]]、[[1991年]](平成3年)からは[[新宿区]]に置かれているため、現在も「道府県庁所在'''市'''」とは言えるものの「'''都'''道府県庁所在'''市'''」とは言えない状況にある。
 
都道府県庁所在地には、各々の都道府県の[[行政機関]]や国の出先機関などが集中して行政の中心地となる一方、[[都道府県議会]]が置かれて[[地方自治]]の中心地となっている。経済政策の比重が増した戦後、特に[[高度経済成長]]期には[[第三次産業]]の労働力として郡部から都市部に人口が移動([[都市化]])し、[[工業]]が発展した都市には更に[[第二次産業]]労働力が集中して、都道府県庁所在地の人口は急増した。人口増に応じて[[経済]]・[[文化]]・[[交通]]・学術研究などの中心地にもなり、都市としての風格が出てきたため、県庁所在地を'''県都'''(けんと)、[[道庁所在地]]を'''道都'''(どうと)と呼ぶ例も見られるようになった<ref>「京」が「京都」と呼ばれるようになったように、「都市名の1字」と「都」を合わせて表現する例がある。札都([[札幌市]])、仙都([[仙台市]])、[[東都]]([[東京都]])、阪都([[大阪市]])、神都([[神戸市]])、福都([[福岡市]])など。</ref><ref>かつて[[令制国]]における[[国府]]所在地または中心都市を、「令制国名の1字」と「府」を合わせて表現する例があった。[[石岡市|常府]]([[常陸国]])、[[甲府市|甲府]]([[甲斐国]])、[[松本市|信府]]([[信濃国]])、[[駿府]]([[駿河国]])、[[防府市|防府]]([[周防国]])、[[長府]]([[長門国]])など。また、[[藩庁]]所在地を「[[藩]]名の1字」と「府」を合わせて表現する例があった。[[仙台市|仙府・僊府]]([[仙台藩]])、[[米沢市|米府]]([[米沢藩]])など。</ref>。ただし、江戸時代の[[三都]]を基盤として発展した東京都庁所在地および大阪・京都の両府庁所在地を「都都」「府都」と表現する例は稀である。
 
大型時刻表の巻頭の路線図では都道府県庁所在地の中心駅が「都道府県庁所在地駅」として記載されており、都道府県庁所在地については市名の代わりに駅名で呼ばれることもある。なお、都道府県庁所在地名と都道府県庁所在地駅名が異なっている例もある。東京都の場合は後述のように都庁所在地を「[[東京都区部|東京都区部(東京23区)/東京]]」とする場合と「[[新宿区]]」とする場合があるが、[[東京駅]]と[[新宿駅]]がいずれも都道府県庁所在地駅として並立している。また、[[さいたま市]]に対し「さいたま駅」は存在しないが、同市内の区で県庁のある[[浦和区]]に対し[[浦和駅]]があり(鉄道の中心駅は[[大宮駅 (埼玉県)|大宮駅]])、[[福岡市]]に対し「福岡駅」は県内に存在しないが、同市内の区で県庁のある[[博多区]]に対し[[博多駅]]がある。兵庫県の代表駅は[[神戸駅 (兵庫県)|神戸駅]]であるが鉄道の中心駅は[[三ノ宮駅]]である。[[鹿児島市]]にある[[鹿児島中央駅]]([[鹿児島駅]]はある)、[[那覇市]]にある[[旭橋駅]](旧・[[那覇駅]]がかつて付近にあった)の2駅についてはいずれも県庁所在地名とは一致しない。