「1995年のF1世界選手権」の版間の差分
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前年の最終戦、[[デイモン・ヒル]]との相討ち決着で物議を醸した[[ミハエル・シューマッハ]]は、1992年の[[ナイジェル・マンセル]]に並ぶシーズン9勝(1992年は年間16戦)を記録し、ドライバーズタイトルを連覇した。ポールポジション数ではウィリアムズ勢の12回に対しシューマッハは4回ながら、ピットストップの回数やタイミングの妙で逆転する勝ちパターンを確立。シューマッハ人気に沸く地元ドイツで開催された[[ドイツグランプリ|ドイツGP]]と[[ヨーロッパグランプリ|ヨーロッパGP]]の2レースとも勝利した。
対するヒルは首位走行中のリタイアなどマシンの信頼性に泣き、レース戦略でも後手を踏んだ場面も多かった。
この年もシューマッハとヒルの因縁は続き、フランスGPではヒルがブレーキテスト(後続車の前で故意にスピードを落とす)をしたとシューマッハが非難。[[イギリスグランプリ|イギリスGP]]では前年最終戦と同様に、インを突くヒルとアウトからかぶせたシューマッハが絡んでリタイア。[[ベルギーグランプリ|ベルギーGP]]ではシューマッハが予選16番手から優勝したが、ヒルへのブロックが危険とみなされ執行猶予付きの1戦出場停止処分を受けた。イタリアGPではヒルがシューマッハに追突し、マシンを降りたシューマッハがヒルに抗議。この件ではヒルが執行猶予付きの1戦出場停止処分となった。ヨーロッパGPでは両者レースに影響するダメージは無かったものの、
後ろを走るヒルがぬれた路面にスリップしてブレーキングをミスし、前を走るシューマッハに突っ込み軽く追突する場面も有った。
[[ジョニー・ハーバート]]はヒルとシューマッハが共倒れとなった2戦を制し、地元イギリスGPで初優勝を達成した。ベネトンのコンストラクターズ初タイトルに貢献したが、シューマッハを優遇するチーム体制に苦しんだ。
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