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'''奈良仏師'''(ならぶっし)は、[[平安時代]]末(11期([[11世紀]])頃から活躍した[[興福寺]]に拠点を置いて活動し[[仏師]]集団のこと。'''御寺仏師'''、'''南都仏師'''、'''南京仏師'''などともいう。
 
==概要==
[[天平文化|天平彫刻]]や[[定朝様]]の伝統を身につけつつ、京都とは異なる独自の作風を生み出した。[[平家]]没落後は武士に敬遠された京都の仏師たちとは異なり[[鎌倉幕府]]の庇護を受け発展、[[定朝]]の孫とされる[[頼助 (仏師)|頼助]]を始祖として[[康助]]、[[康朝]]、[[成朝]]と父子相承したが、成朝以降は直系が途絶え[[慶派]]の[[康慶]]や[[善派]]の[[善慶]]に継承された。
 
==参考文献==
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*[[院派]]
 
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[[Category:奈良仏師|*]]
[[Category:平安時代の仏師|*なら]]
[[Category:奈良市の歴史]]
[[Category:平安時代の仏教]]
[[Category:平安時代の文化]]<!--美術-->
[[Category:奈良市の歴史]]
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