「五山送り火」の版間の差分

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m →‎起源・歴史: 誤字訂正。各地に生まれた「大文字焼き」行事を付記し、wiki「大文字焼き」にリンク。
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山に画かれた字跡に点火する行為の起源については、[[平安時代]]とも[[江戸時代]]とも言われているが、公式な記録が存在するわけではない<ref>家紋研究家の[[高澤等]]は『兼見卿記』天正8年条に「今夜四方山々万灯炉見物」とあることを指摘し、その原形は戦国時代には始まっていたとしている。高澤等著『家紋歳時記』(洋泉社)2011年、p.210</ref>。場所と行為を具体的に特定した史料が登場するのは[[近世]]に入ってからである。『雍州府志』によると、[[盂蘭盆|盂蘭盆会]]や[[施餓鬼]]の行事として行われていたとあり、『花洛細見図』にも「盂蘭盆会の魂祭」として紹介されていることから、江戸時代前期から中期までにはそれに類する性格を持っており、大文字、妙法、舟形、加えて所々の山、原野で火を点けていた。
 
なお、以前の京都は過度の林利用のせいでハゲ山が多く、林は少なく、それが故に送り火とう文化が産まれたのではないかとう説がる(京都精華大学人文学部教授 小椋純一による)<ref name = ogura2013 />。
 
=== 近世の送り火 ===
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===「大文字焼き」という呼び方について===
地元の人の中には「[[大文字焼き]]」という表現呼び方を嫌悪するものもいるとされる<ref>「京都には『大文字焼き』なんてありません」岩上 力『京のあたりまえ』光村推古書院、2000年、120頁</ref>が、昔は大文字焼きと呼ぶ人も多かった<ref>嵯峨 徳子『京都大不満』2007年</ref>という意見もある。今の京都では他の送り火も含めて単に「だいもんじ」と呼ぶのが一般的で、「焼き」を付することはない。近年、京都の大文字を模して全国各地で同様の行事が行われているが、そのほとんどが「大文字焼き」と称している。これがマスコミその他で京都五山の送り火を大文字焼きと呼んで違和感を持たない理由とも考えられる。京都の送り火に「焼(や)く」という要素はなく、しいて言えば「焼(た)く」のであって、京都に限ればやはりこの呼び方は不適切とすべきであろう。この呼び方は毎年1月に奈良で行われる「[[若草山の山焼き]]」との混同から生のではないかとする識者もいる。なお、「大文字山焼き」と称されることもあるが、「[[野焼き#日本の山焼き|山焼き]]」は、新芽を出させるために山腹の広い範囲を焼くことであって全く異なる。
 
== 休止期間 ==