「南北共同声明」の版間の差分
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== 7・4声明後の動き ==
7・4共同声明は国内外に「画期的な出来事」として歓迎され、朴大統領[[与党]]である[[民主共和党 (韓国)|民主共和党]](以下、共和党)は支持する声明を発表した。しかし一方では政府から何らの事前説明も受けなかったことに対する不満もあり、最大[[野党]]である[[新民党]]は「国会や与野党に何らの事前協議無く、朴政権の一方的な密談で行われた」と非難する声明を発表した<ref>{{Cite web|date=1972|url=http://d-arch.ide.go.jp/browse/html/1972/101/1972101DIA.html|title=1972年 大韓民国重要日誌|publisher=アジア動向データベース|accessdate=2014-9-21}}</ref>。声明で南北の緊張緩和ムードが作り出される中、政府は全軍主要指揮官会議を開催(7月7日)して[[大韓民国国軍|軍]]の引き締めを図ると共に、国民の
南北共同声明発表後の1972年10月、韓国の[[朴正煕]][[政権]]は「祖国の平和統一のための体制強化」を名目として[[十月維新]]を開始、独裁体制を強化した。一方北朝鮮の金日成政権も[[1972年]][[12月27日]]に新たに[[朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法]]を制定、[[金日成]]は[[朝鮮民主主義人民共和国主席|国家主席]]に就任しやはり[[独裁政治|独裁体制]]を強化した<ref>http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1969/s43-13-1-1-2.htm</ref>。
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