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== エピソード ==
* 桑原のサブ司会起用は、新人アナウンサー時代から桑原に目を掛けていた当時のディレクター・古吟勲一(こぎんくんいち)の強い推薦による。当番組ではサブ司会とアシスタントが、本番中に別のスタジオから放送する[[CM]](生CM)にも登場。桑原の先輩アナウンサーである鈴木がサブ司会を務めていた時期には、本番中に6本放送される生CMで、鈴木の穏やかな語り口が視聴者にもスポンサーにも好評を博していた。以上の事情から、番組中のCM全般を取り扱う在京の広告代理店が、鈴木に比べて知名度もアナウンス技術も低かった桑原の起用に難色を示した。そのため、桑原の出演開始当初は、鈴木が生CMのみ引き続き担当。半年後に桑原の生CM出演を広告代理店が了承したため、鈴木は当番組を完全に降板したうえで、『奥さまリビング』(当時平日の午前中に放送されていた主婦向けの情報番組)のメイン司会へ異動した。ちなみに古吟は、後に「征平の挑戦!」シリーズのディレクターとして、当番組や桑原の知名度向上へ大きく貢献。桑原は、『奥さまリビング』でも週に2日、サブ司会(鈴木のサポート役)を務めていた。
* 1976年10月30日の放送では、前日に[[山形県]][[酒田市]]で[[酒田大火]]が発生したのを受けて番組の内容を大幅に変更し、山形テレビと随時中継を繋いでの放送された。
* 1981年4月には「征平の挑戦」のコーナーが特番化。[[神戸ポートアイランド博覧会|ポートピア'81]]でロケを行い、『'''征平のポートピアに挑戦!'''』と題して放送された。