「憲兵 (日本軍)」の版間の差分

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[[File:Check of Chinese soldiers in Nanking01.jpg|thumb|right|250px|[[南京攻略戦]]後、軍服を脱ぎ避難民に紛れた中国兵を調べる憲兵上等兵<br>1937年(昭和12年)]]
憲兵は、他の兵科・各部とは異なり将校准士官下士官兵を問わず、入隊時に憲兵科に指定される者はいなかった。他兵科からの転科志願者から、在隊中の勤務態度が吟味され身辺調査を経て、更に憲兵隊での学科試験や面接をもって充足された。
 
このほか、軍の拡大に伴い憲兵将校に不足が生じたことから、大学法学部出身の各科将校の中から憲兵転科を命じている例もある。
 
憲兵科軍人又は憲兵科へ転科する軍人に対する教育は、[[1899年]](明治32年)以降は'''憲兵練習所'''<ref>明治32年勅令第368号により設置された。</ref>で、1942年(昭和17年)以降は'''[[陸軍憲兵学校]]'''<ref>昭和12年(1937年)勅令第378号により設置された。</ref>で行われた。
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* [[小坂慶助]](憲兵大尉。二・二六事件にて岡田首相を救出した。「[[憲兵とバラバラ死美人]]」の原作者。)
* [[横井英樹]](憲兵軍曹。戦後[[白木屋 (デパート)|白木屋]]の株買占めや東洋郵船を設立。[[ホテルニュージャパン火災]]事件において、[[実刑判決]]を受ける。)
* 塚本誠(電通取締役。憲兵大佐。宇都宮憲兵隊長、東京憲兵隊司令部高級部員などを歴任)
 
== 憲兵に対する評価 ==