「劉眷」の版間の差分
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代王[[拓跋什翼犍]]により北部大人に任ぜられる。
[[376年]]に
[[383年]]、兄の劉庫仁が[[慕容文]]の襲撃にあって殺されると、劉眷は兄を継いで独孤部大人を代行する。
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白部大人の系佛が叛き、劉眷の力では討てなかったので、[[苻堅]]の[[并州]][[刺史]]の[[張コウ (前秦)|張蚝]]とともに系佛を撃ち破った。また、劉眷は善無にて[[賀蘭部]]を破り、さらに、[[柔然|蠕蠕]]別帥の胏渥を意親山で撃ち破った。
ある時、次男の[[劉羅辰]]が父の劉眷に「私の従兄の[[劉顕 (独孤部)|劉顕]]は残忍な人物です。早くこれを誅することを願います」と献策するが、劉眷は意に介しなかった。するとその後の[[385年]]、甥の劉顕は劉眷を殺害して、独孤部大人となった。
== 宗室 ==
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