削除された内容 追加された内容
173行目:
=== 日本(沖縄・奄美・小笠原を除く)の戦後マラリア ===
一般的に、マラリアは戦争時・戦後直後に大流行する傾向がある。実際、[[第一次世界大戦]]初期には欧州本土の軍隊間に甚だしいマラリアの流行はなかったが、末期近くになるにつれて漸次蔓延し、戦後には復員と共に従来マラリアをみなかった地方にまでもこれをみる様になり、遂には一時的ではあったが大流行となった。例えば、第一次世界大戦後の[[チェコスロバキア]]で熱帯熱マラリアの流行がみられた。したがって、日中戦争 - 第二次世界大戦中の日本においても、ある程度、マラリア対策がなされていた。しかし、1939年以降、全国各府県(北海道を含む)にマラリア患者の発生をみないところはなく、特に、福井県・滋賀県・愛知県・富山県・石川県では、患者の発生数が多かった。
[[第二次世界大戦]]後、[[沖縄諸島|沖縄]]・[[奄美群島|奄美]]・[[小笠原諸島|小笠原]]以外の[[日本]](当時、沖縄・奄美・小笠原は[[日本]]に返還されていなかった。以下、この節では、この日本を[[内地]]と称する)に帰還し、[[内地]]でマラリアが再発したのは、約43万人([[引揚者]]を含む)と推定されている。これらの者が感染源となって、マラリアが内地で土着蔓延するのではないかと憂慮されていた。三日熱マラリアは、[[1946年]]、[[1947年]]に、それぞれ約7,000人の内地初感染があったと推定されている。四日熱マラリアは、内地初感染は全くなかった。熱帯熱マラリアは、1946年に、[[長崎県]](36人)、[[熊本県]](1人)、[[鹿児島県]](2人)、[[岡山県]](1人)、[[愛知県]](1人)、[[大阪府]](1人)で、1946年 - 1947年に[[北海道]][[北見国]][[留辺蘂町]](7人)で、[[1949年]]に、[[福岡県]](1人)で、[[内地]]初感染(流行)があった。以上の流行は、大体、1 - 2年以内に終息し、土着蔓延しなかった。
 
=== 現在の日本で土着マラリアが流行していない理由 ===