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{{Redirectlist|沖縄|島としての沖縄|沖縄本島|同島周辺の島嶼群|沖縄諸島|同島に所在する自治体(市町村)|沖縄市|その他|沖縄 (曖昧さ回避)}}
|大原]]
{{基礎情報 都道府県
|都道府県名 = 沖縄県
|画像 = ファイル:Naha Shuri Castle16s5s3200.jpg
|画像の説明 = [[首里城]]
|都道府県旗 = {{Flagicon|沖縄県|size=100px}}
|都道府県旗の説明 = [[沖縄県旗]]
|都道府県章 = [[ファイル:Emblem of Okinawa Prefecture.svg|80px|沖縄県章]]
|都道府県章の説明 = 沖縄県章
|区分 = 県
|コード = 47000-7
|ISO 3166-2 = JP-47
|隣接都道府県 =[[鹿児島県]]
|木 = [[リュウキュウマツ]]
|花 = [[デイゴ]]
|鳥 = [[ノグチゲラ]]
|シンボル名 = 他のシンボル
|歌など = 県の魚 : [[タカサゴ]](グルクン)<br />県の歌 : [[沖縄県民の歌]]<br />[[沖縄返還|本土復帰]]記念日 : [[5月15日]]<br />[[慰霊の日]] : [[6月23日]]
|知事 = [[翁長雄志]]
|郵便番号 = 900-8570
|所在地 = 那覇市泉崎一丁目2番地2号<br /><small>{{ウィキ座標度分秒|26|12|44.8|N|127|40|51.3|E|region:JP-47_type:adm1st|display=inline,title|name=沖縄県}}</small><br />[[ファイル:Okinawa Prefectural Government Headquarters01ss3200.jpg|220px|沖縄県庁]]
|外部リンク = [http://www.pref.okinawa.lg.jp/ 沖縄県]
|位置画像 = [[ファイル:Map of Japan with highlight on 47 Okinawa prefecture.svg|320px|沖縄県の位置]]{{基礎自治体位置図|47|000}}
|特記事項 =
}}
 
'''沖縄県'''(おきなわけん)は、[[日本]]で最も西に位置する[[県]]。[[沖縄本島]]・[[宮古島]]・[[石垣島]]など多くの島々から構成される<ref name="国土構成島数">{{cite web|url=http://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/chiikirito/ritoshinko/ritou-gaikyou.html|title=離島の概況について/沖縄県|accessdate=2017-10-12}}</ref>。[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]は[[那覇市]]。
 
== 概要 ==
[[鹿児島県]]の[[薩南諸島]]を除く[[南西諸島]]の島々([[沖縄諸島]]・[[先島諸島]]・[[大東諸島]])から構成されており、[[東シナ海]]と[[太平洋]]に挟まれている。面積は2,281㎢と[[香川県]]・[[大阪府]]・[[東京都]]に次いで小さく、また人の居住する日本最南端の地域を含む県でもある<ref>日本最南端は[[東京都]]に属する[[沖ノ鳥島]]であるが、人は住んでおらず民間人が自由に立ち入ることはできない。</ref>。
 
県民の約9割が[[沖縄本島]]に集中しており、行政上は沖縄本島とそれ以外の[[離島]]とに分けられる場合がある。
 
ほぼ全域が[[亜熱帯]]気候であり、一部は[[熱帯]]に属する。年間を通して温暖な気候であり、最高気温と最低気温の差も小さく標高の高い山も存在しないため[[氷点下]]になることもない。
 
海上輸送路([[シーレーン]])および軍事的要地([[第一列島線]])として重要な場所に位置し、多数の[[在日米軍|在日米軍基地]]が存在する。主な米軍施設として、[[嘉手納飛行場]]・[[普天間飛行場]]・[[キャンプ・バトラー]]等が存在する。
 
[[与那国島]]は日本最西端の[[領土]]であり、[[八重山郡]][[与那国町]]は日本の最西端の[[地方自治体]]でもある。また正確な日本の東西南北の最端部の中で唯一自由に訪れることができる場所である。
 
[[尖閣諸島]]は同県[[石垣市]]に属しており日本が実効支配している日本固有の領土だが、[[中華人民共和国]]および[[中華民国]]([[台湾]])は尖閣諸島(あるいは沖縄県全土)の領有権を主張している。([[中華民国#沖縄県への認識|参照1]]、[[中国人による沖縄県への認識|参照2]]、および「[[尖閣諸島問題]]」、「[[中国人による沖縄県への認識]]」を参照)。
 
同地にはかつて[[三山時代|三山]]を統一した[[尚巴志王|尚巴志]]により建国された[[琉球王国]]が存在し、[[明国]]や[[清国]]に[[朝貢]]し[[冊封]]を受けていた([[第一尚氏王朝]])。[[1469年]]、首里城でクーデターが起き、家臣の金丸(後に[[尚円王]]と号す)が王位を[[簒奪]]する([[第二尚氏王朝]])。[[1609年]]([[慶長]]14年)に[[薩摩藩]]の侵攻を受け[[尚寧王]]は降伏し、当時王国の領土であった[[奄美群島]]は薩摩藩に割譲<ref>ただし名目上は琉球の一部とされた。詳細は[[奄美群島の歴史]]を参照。</ref>、[[王府]]は薩摩藩の影響下におかれた([[琉球侵攻]])。以来、琉球王国は日本の薩摩藩と清国に『両属』する曖昧な国際的地位となっていたが、[[鎖国]]体制下の両国の[[中継貿易]]地としての役割を担い、交易を通じて独自の地位と文化を保っていた。
 
近代に入り日本本土で[[明治維新]]がおこり[[開国]]したことを受け清国との間に外交関係が樹立されると[[中央集権]]国家の確立を急ぐ明治政府の命により琉球王国は[[琉球藩]]に、後に[[廃藩置県]]で'''沖縄県'''となり、[[尚泰王]]は強制廃位させられ約450年間続いた琉球王国は名実共に消滅した([[琉球処分]])。清国は日本側の一方的な処分に抗議するなど帰属問題は尾を引いていたが、後に[[日清戦争]]で日本が勝利したことにより沖縄の領有権が最終的に確定した。琉球王国時代の城跡遺跡は『[[琉球王国のグスク及び関連遺産群]]』として[[ユネスコ]]の[[世界遺産]]に登録されている。
 
[[1945年]]([[昭和]]20年)、[[第二次世界大戦]]では『唯一の地上戦』と呼ばれる<ref>「唯一」という言葉については議論がある。[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162452-storytopic-3.html 沖縄地上戦 国内唯一→国内最大 政府が閣議決定](琉球新報)</ref> [[沖縄戦]]の戦場となった。米軍は[[4月1日]]に沖縄本島の[[読谷村]]の海岸に上陸し、瞬く間に北半分を制圧、米軍の総攻撃を受け日本軍は南部に追い込まれ、総司令部が置かれていた[[首里城]]も焼け落ち、[[6月23日]]に沖縄守備軍最高指揮官の[[牛島満]]中将らが[[摩文仁]]で自決したことで組織的戦闘は終結した。約3カ月に及ぶ激戦により県民の4人に1人が犠牲になり土地も荒廃した。現在、摩文仁は[[沖縄戦跡国定公園]]に指定されており、6月23日は[[慰霊の日]]として沖縄県の休日となっている。
 
戦後、南西諸島は米軍の占領下におかれ、'''沖縄県は一旦消滅'''した([[アメリカ合衆国による沖縄統治]])。米軍主導のもと新たに『[[琉球政府]]』が誕生、基地建設のため集落や農地を大規模に接収し、[[730 (交通)|右側通行の道路]]を整備し、通貨として[[B円]]、後に[[米ドル]]を使用させ、日本本土への渡航に[[パスポート]]が必要になるなど、米国流のやり方で戦後復興が進められていった。[[1952年]](昭和27年)に[[日本国との平和条約|本土が主権回復]]した後も引き続き沖縄は米軍の統治下におかれた。[[1950年代]]以降になると[[朝鮮戦争]]や[[ベトナム戦争]]が勃発し、沖縄は米軍の前線補給基地として重要度を増し、数多くの米軍人が駐留、[[B-52 (航空機)|B-52]]等の[[戦略爆撃機]]や[[枯葉剤]]や[[核兵器]]といった[[大量破壊兵器]]も多数配備され、ベトナムからは『悪魔の島』と恐れられた<ref>「1962年・沖縄 「核兵器庫」の嘉手納」毎日新聞2016年2月20日 東京夕刊</ref>。経済は基地に大きく依存していた一方で、当時ドル高円安の[[固定相場制]]の影響もあり物価は安く生活は安定しており、人口は終戦直後の約50万人から本土に復帰する直前にはほぼ倍になるまで増加した。しかし米軍による強権的・差別的な施政に島民は強い反感を抱き、本土への復帰を求める大規模な反基地運動が各地で展開されていった([[島ぐるみ闘争]])。[[1971年]](昭和46年)に[[佐藤栄作]]首相と[[リチャード・ニクソン]]大統領との間で[[沖縄返還協定]]が締結され、翌[[1972年]](昭和47年)に沖縄は日本に返還され'''沖縄県が復活'''した。([[沖縄返還]])<ref>ただし沖縄復帰を前に制定された「[[沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律]]」では、戦前の沖縄県が地方自治法に定める県として建前上存続するものとされた。</ref><ref>なお復帰に際して日本は米国に対し総額3億2000万ドルを支払っている(現在の為替レート(2016年10月時点)で約5000億円)</ref>。米軍統治時代から続く基地問題や[[不発弾]]の問題、[[日米地位協定]]の問題は当県の主要な政治課題となっている(「[[普天間基地移設問題]]」を参照)。
 
歴史的経緯・文化・風習・習慣・人名・方言・[[経済]]・制度的にも本土のそれとは大きく異なり、俗に県外のことを「[[内地]](ナイチ)」、県民以外の人を「内地人(ナイチャー)」と呼び分ける場合がある。
 
日本屈指の[[リゾート]]地であり、歴史文化・[[沖縄料理]]・[[レジャー]]・[[マリンスポーツ]]・[[戦争遺跡]]などを強みに[[観光]]分野に特に力を入れており、観光業を含む[[第三次産業]]が79.2[[パーセント|%]]を占めている一方で[[第一次産業]]は5.4%、[[第二次産業]]は15.4%と非常に低い<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/kodomo/sangyo/c1_uchiw.html 沖縄の産業/産業のうちわけ] - 2014-12-4閲覧</ref>。
 
また格闘技界においては[[空手]]の発祥の地として世界的に有名であり、多数の外国人門下生が県内の道場に入門し稽古している。
 
== 名称 ==
「沖縄(おきなわ)」という地名の由来は、「沖あいの漁場」を意味する「おき(沖)な(魚)は(場)」を由来とする説([[伊波普猷]])と、「沖にある場所」「遠い場所」を意味する「おき(沖・遠い)なは(場所)」を由来とする説([[東恩納寛惇]])とがあるが、いずれも定説には至っていない。
 
[[淡海三船]]が著した[[鑑真]]の伝記『唐大和上東征伝(とうだいわじょうとうせいでん)』(779年成立)では、[[天平勝宝]]5年[[12月12日 (旧暦)|12月12日]]([[754年]]1月9日)遣唐使一行が阿児奈波島(おきなわじま/あじなわじま/あこなはじま)に漂着したと記されており、この島は沖縄本島のことを指していたという<ref>「沖縄コンパクト事典」阿児奈波島(あこなはじま) 琉球新報社発行2003年3月1日</ref>。のちに中国による呼称の琉球と呼ばれるようになったようである。この琉球の語源についてもまだ明らかになっていない。
 
[[琉球処分]]の際、[[明治|明治政府]]内では「'''琉球県'''」の名称も検討された。これは[[1879年]](明治12年)、[[琉球藩]]を廃して沖縄県が設置される際に俎上に上っていたものである。内務卿の[[伊藤博文]]から太政大臣の[[三条実美]]に提出した同年3月1日付の琉球処分に関する文章には「琉球藩ヲ廃シ、更ニ琉球県ヲ被置候、此旨布告候事但県庁ハ首里ニ被置候事」とあり、琉球県の名称が使われていたが採用には至らなかった。この間の経緯は不明であるが、[[中国語]]由来の琉球に対し、沖縄のほうがより日本帰属の意思が明確になるため選ばれたと推察できる。用語としての「沖縄」は元々は[[沖縄本島]]を指す言葉であったが、沖縄県設置により鹿児島県[[奄美群島]]を除く[[琉球諸島]]全域が沖縄と呼ばれるようになり、より広義に解釈されるようにもなった<ref>『琉球史辞典』[[中山盛茂]] 著、琉球文教図書、1969年</ref>。
 
== 地理・地域 ==
[[ファイル:Okinawakenchizu.png|thumb|right|沖縄県の地図]]
[[国土交通省]]による日本の14地域区分の1つである沖縄は、沖縄県1県のみから成る<ref name="yougo">'''14地域''' ⇒ 北海道、東北、関東内陸、関東臨海、東海、北陸、近畿内陸、近畿臨海、中国山陰、中国山陽、四国、九州北九州、九州南九州、沖縄。{{Cite web|url=http://www.mlit.go.jp/term/file000005.html#shi|title=用語集|publisher=国土交通省|accessdate=2013-06-01}}</ref>。なお、「九州地方」の一部または「九州・沖縄地方」と呼ぶ場合もある。([[九州#「九州」の由来|九州・「九州」の由来]]参照)[[国土交通省]]は、「[[沖縄本島]]」を、「[[本土]]」5島の一つとしている<ref>[[島国]]([[領土]]がすべて[[島]]から成る国)である日本を構成する6,852の島に対する『国土交通省』による区分け ⇒ 6,852島(本土5島・[[離島]]6,847島)。[出典] 『国土交通省』サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識)[http://www.mlit.go.jp/crd/chirit/ritoutoha.html] 2009年11月27日閲覧。<br />
ただし、島について地理学上はこのような分類・区分けはない。</ref><ref>【参考】日本の[[島]]の面積順に上位10島 ⇒ [[本州]]、[[北海道]]、[[九州]]、[[四国]]、[[択捉島]]、[[国後島]]、[[沖縄本島]]、[[佐渡島]]、[[奄美大島]]、[[対馬]]。<br />
[出典] [[国立天文台]] (編)[[理科年表]] 平成19年版 P565 ISBN 4621077635。</ref>。
[[国土地理院]]、[[海上保安庁]]によると、沖縄県は363の島から成っている<ref name="国土構成島数" />。49の有人島と多数の[[無人島]]からなり、0.01[[平方キロメートル|km<sup>2</sup>]]以上の面積を有する島は160島存在する<ref name="160islands">[http://www.pref.okinawa.jp/site/kikaku/tochitai/tousho.html 沖縄県の島しょ別面積一覧] (沖縄県を構成する160の[[島]]の名称と面積の一覧表) 沖縄県土地対策課。</ref>。最東端から最西端までは約1,000[[キロメートル|km]]、最北端から最南端までは約400kmと、広大な県域を持つ<ref>{{Cite web
|url = http://www3.pref.okinawa.jp/site/contents/attach/12017/P1-7.pdf
|title = NATURE in OKINAWA
|format = PDF
|publisher = 沖縄県文化環境部 自然保護課
|accessdate = 2012-06-28
}}</ref>。
南西諸島は鹿児島県から台湾近くまで長く延びており、地理的分布では北の[[トカラ列島]]までと、[[奄美群島]]と[[沖縄諸島]]および[[先島諸島]]の3つに大きく分けられる。<br>
[[沖縄本島]]と[[宮古島]]の間は[[宮古海峡]]と呼ばれ最狭区間でも約145[[海里]](約270km)の距離があり、そのうち約48海里(約89km)が[[領海]]と[[接続水域]]になっており、残りの約97海里(約97km)が[[排他的経済水域]]になっている。<br>
与那国島と台湾の間は約54海里(約100km)である。
{|class="wikitable" style="width:70%;text-align:center"
|+沖縄県の端<span style="font-weight:normal"><ref>{{Cite web
|url = http://www.pref.okinawa.jp/tochi/toukeide%20tisei.html
|title = 統計データ 沖縄の東西南北端
|publisher = 沖縄県企画部土地対策課
|accessdate = 2012-08-02
}}</ref></span>
!
!島
!所属自治体
!備考
!位置
|-
!最北端
|[[硫黄鳥島]]
|[[久米島町]]
|有人島に限れば[[伊平屋島]]<ref>{{Cite web
|url = http://www.pref.okinawa.jp/chiiki_ritou/simajima/iheya.html
|title = 知・旅・住 離島総合情報サイト 沖縄のしまじま 伊平屋島 / 野甫島
|publisher = 沖縄県企画部地域離島課
|accessdate = 2012-08-02
}}</ref>
|rowspan="4" style="width:252px;padding:auto"|{{Location map many|Japan Ryukyu Islands
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|label = 硫黄鳥島
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}}
|-
!最南端
|[[波照間島]]
|[[竹富町]]
|日本最南端の有人島<ref>{{Cite web
|url = http://www.town.taketomi.lg.jp/islands/index.php?content_id=6
|title = 美しき島々 波照間島
|publisher = 竹富町
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|-
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|[[北大東村]]
|
|-
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|[[与那国島]]
|[[与那国町]]
|日本最西端の島<ref>{{Cite web
|url = http://www.gsi.go.jp/KOKUJYOHO/center.htm
|title = 日本の東西南北端点の経度緯度
|publisher = [[国土地理院]]
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}}</ref>
|}
離島が多いものの、離島の医療は人材的・経済的理由から不足気味であり、[[病院]]がなく[[診療所]]のみという島も多い。そのため、離島で治療できない急患患者の[[沖縄本島]]への空輸を[[陸上自衛隊]]や[[海上保安庁]]が行っている。なお、[[宮古島]]、[[石垣島]]には県立の総合病院が設置されているため、それらの島の周辺離島での急患は沖縄本島ではなく宮古島や石垣島に搬送される場合もある。
 
県庁所在地である那覇市の半径1,000km圏内には[[九州|九州島]]全域や[[下関市]]、[[上海市|上海]]、[[福州市|福州]]や[[台湾|台湾島]]全域が含まれ、1,500km圏内には[[大阪市|大阪]]、[[南京市|南京]]、[[ソウル特別市|ソウル]]、[[平壌]]、[[マニラ]]、[[香港]]などが位置する。2000km圏内には[[東京]]、[[仙台市|仙台]]、[[北京市|北京]]、[[瀋陽市|瀋陽]]、[[海口市|海南省海口市]]、[[長春市|長春]]、[[ウラジオストク]]等が存在し、2500km圏内には[[稚内]]、[[成都市|成都]]、[[重慶市|重慶]]、[[ハノイ]]、[[グアム]]、[[北マリアナ諸島]]、[[パラオ]]が収まるなど、まさに[[東アジア]]・[[東南アジア]]と[[日本]]との接点とも言える位置にある。
 
沖縄本島の中部・南部は[[那覇市]]・[[沖縄市]]を中心として都市化・人口集中が進んでおり、全面積の約5分の1に110万人以上が居住している(''[[沖縄本島#中南部都市圏]]'' も参照)。その上、[[治外法権]]の米軍基地が多数存在しており、利用できる面積はさらに限られる。そのため[[人口密度]]は全国で第9位であり、[[三大都市圏]]の都府県を除くと[[福岡県]]に次いで2番目に高い。
 
=== 地質 ===
琉球諸島は太平洋側の[[琉球海溝]]と東シナ海側の[[沖縄トラフ]]に挟まれる。琉球海溝は[[フィリピン海プレート]]が[[ユーラシアプレート]]に潜り込むことによりできたもので、これは[[南海トラフ]]と同様の成因である。また背海盆沖縄トラフはユーラシアプレートが新しい時代に引き裂かれて陥没した1000〜2000[[メートル|m]]の窪みであり熱水鉱床などがみられる。地質的には琉球列島(諸島)のうち沖縄島と奄美大島はケラマ海裂とトカラ海峡とに挟まれた中琉球と呼ばれ、島は海洋地殻の上に海洋地殻の付加体(海洋地殻の陸側斜面となるユーラシア・プレートの下にフィリッピン海プレートが沈み込むときに、海溝の陸側斜面ユーラシアプレートの端に押し付けられて隆起した海洋地殻の上の堆積物)で構成され、さらに3億〜5000万年前の古い付加堆積物で作られる沖縄島北側と、500万年前に作られた現地性堆積物により構成される沖縄島南側に大きく分けられる。
 
=== 自然 ===
;[[生物]]
:[[亜熱帯]]で[[生物]]に好適な気候に恵まれ、貴重な動植物が多い。沖縄本島北部には[[山原]]と呼ばれる[[森林]]が広がっており、[[ノグチゲラ]]、[[ヤンバルクイナ]]、[[ヤンバルテナガコガネ]]といった[[天然記念物]]等貴重な生物が生息している。山原と沖縄本島の海岸線の一部、[[慶良間諸島]]等が[[沖縄海岸国定公園]]に指定されている。西表島一帯および石垣島の一部が[[西表石垣国立公園]]に指定されており、[[マングローブ]]林が広がるほか、[[イリオモテヤマネコ]]等の貴重な生物が生息している。なお、[[環境省]]が指定する[[日本の重要湿地500]]のうち、55ヶ所が沖縄県内にある。これは、[[北海道]](61ヶ所)に次いで日本で2番目に多い。
;[[大雨]]と[[水不足]]
:[[2005年]](平成17年)から[[2007年]](平成19年)各年の[[6月]]に[[梅雨前線]]の影響で大雨と[[雷]]が沖縄本島を襲い、各地で冠水、[[土砂崩れ]]、[[崖崩れ]]等が相次いだ。平年値では年間を通じて降水量が多いが、[[梅雨]]と[[台風]]による降雨が多いこと、年による変動が大きいこと、大きな河川がなくすぐに海に流出してしまうことなどから、気候・地形的に水不足に陥りやすい<ref>[http://www.pref.okinawa.jp/kodomo/sugata/a2_kikou.html 沖縄の気候 沖縄こどもランド]</ref>。また、1946年に約51万人だった人口が、本土復帰の[[1972年]](昭和47年)に約96万人と増加し、需給関係から[[1990年代]]前半までしばしば水不足による[[断水]]が行われた<ref>[http://www.eb.pref.okinawa.jp/museum/gallon/seigen/ 給水制限の記録(沖縄県企業局)]</ref><ref>{{PDFlink|[http://www.eb.pref.okinawa.jp/jigyou/gaiyou/H18/pdf/p1.pdf 沖縄県企業局概要 沖縄の水]}}</ref>。特に[[昭和56-57年沖縄渇水|1981-1982年の渇水]]では日本最長の326日間にわたって給水制限が実施された。そのため、屋根の上などに給水タンクを設置している家が多い。しかし、沖縄本島北部から南部への導水が進み、また[[1997年]](平成9年)に気候に左右されず安定して水の供給が可能な[[海水淡水化]]施設が[[北谷町]]に完成し<ref>[http://www.eb.pref.okinawa.jp/sisetu/suigen/kaisui/index.html 海水淡水化施設(沖縄県企業局)]</ref>、[[2005年]](平成17年)に県人口が約136万人と増加したものの、断水に見舞われることは減った。
;[[地震]]
{{Main|南西諸島近海地震}}
:「地震大国」と言われる日本において、[[九州]]などと同じく、一年あたりの(有感)地震回数が少なく、また気候や人口密度などの面から最も地震に関する[[リスク]]が少ない地域の一つとされていた(地震の発生度や発生時の被害の大きさを示す地震地域係数が日本で唯一「0.7」の都道府県となっているが、この値は後年見直される可能性もある)。しかし、[[損害保険料率算出機構]]の最新の統計集では2等地となっており、特段リスクが低い地域と見なされなくなった。過去には[[1771年]]の[[八重山地震]]による[[大津波]]で、[[先島諸島]]に多大な被害が生じている。最近では[[2010年]](平成22年)の[[沖縄本島近海地震|沖縄本島近海で発生した地震]]で約100年ぶりに沖縄本島で震度5以上を観測し、[[勝連城跡]]の城壁の一部が崩壊した<ref>[http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-158365-storytopic-1.html 沖縄本島近海地震 糸満で震度5弱 本島99年ぶり 勝連城跡一部崩落] - 琉球新報(2010年2月28日付の報道)</ref>。
 
=== 気候 ===
<div style="font-size:smaller">
{{Climate chart|[[那覇市]]
|15|20|107
|15|20|120
|17|22|161
|19|24|166
|22|27|232
|25|29|247
|27|32|141
|27|32|241
|26|30|261
|23|28|153
|20|25|110
|16|21|103
|float = right
|clear = both
|source = [http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/view/nml_sfc_ym.php?prec_no=91&prec_ch=%89%AB%93%EA%8C%A7&block_no=47936&block_ch=%93%DF%94e&year=&month=&day=&elm=normal&view= 気象庁 那覇(1981年 - 2010年の平均値)]
}}</div>
日本国内における気候区分では[[南日本気候]]に属する。
 
[[宮古島]]・[[多良間島]]・[[石垣島]]・[[西表島]]・[[与那国島]]・[[波照間島]]・[[沖大東島]]は[[熱帯]]性気候で[[ケッペンの気候区分]]では[[熱帯雨林気候]] (Af) に、それ以外の地域では[[亜熱帯]]性で[[温暖湿潤気候]] (Cfa) に属する。沖縄県各地方ともに高温多湿で年間降水量は2,000[[ミリメートル|mm]]以上で、年間平均気温は約22[[°C]]となっている。しかし、最高気温が35℃を超える[[猛暑日]]になることはほとんど無い<ref>{{Cite web
|title = 報道発表資料 夏(6 - 8月)の天候
|url = http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/data/stat/tenko100608.pdf
|pages = 17
|publisher = [[気象庁]]
|date = 2010-09-01
|accessdate = 2011-07-18
}}</ref>。これは、沖縄は陸地面積が狭く周りを海に囲まれていること([[海洋性気候]])から、[[フェーン現象]]や晴天弱風と都市化がもたらす大規模な[[ヒートアイランド現象]]のような要因がないためである(但し都市部での小規模なヒートアイランド現象の研究報告はある)。また沖縄は台風[[銀座]]と呼ばれており、毎年多くの[[台風]]が接近する。月別で注目すると、降水量は[[梅雨]]入りの平均期間である5月と台風が多く接近する8月に多い。また、日照時間は7月に長く、冬期の1月・2月では短い。梅雨明け頃には、[[夏至南風]](沖縄本島ではカーチーベー、宮古・八重山周辺ではカーチーバイ<ref>{{Cite web
|url = http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-94538-storytopic-86.html
|date = 1999-06-22
|title = きょう夏至/サルスベリ鮮やか
|publisher = [[琉球新報]]
|accessdate = 2012-06-28
}}</ref>)と呼ばれる秒速10m以上の南寄りの強い風が吹き、夏の到来を告げる[[季節風]]として知られている<ref>{{Cite web
|url = http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-40850-storytopic-121.html
|date = 2003-03-01
|title = 沖縄コンパクト事典 カーチーベー
|publisher = 琉球新報
|accessdate = 2012-06-28
}}</ref>。
 
==== 降雪 ====
冬期に降雪があることはごくまれであるが、[[1977年]](昭和52年)[[2月17日]]に[[久米島]]で、[[2016年]](平成28年)[[1月24日]]に久米島と名護市でそれぞれ[[霙|みぞれ]](気象記録上は[[雪]]と同じ扱い)が観測された<ref>[https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=151170 沖縄で雪を観測 39年ぶり史上2回目] - 沖縄タイムス、2016年1月24日</ref>。[[気象庁]]が公式に発表した沖縄県での降雪記録はこの2例のみで、久米島での降雪は日本における降雪の南限記録である<ref>[http://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/faq/faq1.html 気象庁 雨・雪について「沖縄で雪が降ったことはありますか?」]</ref>。
 
観測開始以前においては、[[琉球王国]]の正史とされる『球陽』によると、[[1774年]]、[[1816年]]、[[1843年]]、[[1845年]]、[[1857年]]にそれぞれ現在の沖縄県の領域で降雪があったことを記録している<ref>[http://homepage2.nifty.com/ho-/kisyou/nahasnow/nahasnow.htm 「高気温時の降雪 〜限界と可能性・沖縄に雪は降ったか?〜」]</ref>。
 
なお、[[昭和38年1月豪雪]]では県内各地で[[霜]]・[[霰|あられ]]・[[雹|ひょう]]などが観測されており農作物への被害も発生している<ref>{{PDFlink|[http://www.jma-net.go.jp/okinawa/menu/news/2016/20160124teion.pdf 強い寒気に伴う低温について]}} - 沖縄気象台、2016年1月24日</ref>。
 
[[1999年]](平成11年)[[12月20日]]とその前後に那覇市などで「雪が降った」という目撃談が複数報告され、[[NHK沖縄放送局]]でもその「雪らしきもの」の映像を放送したが、気温が高かったことなどから気象台は否定的で<ref>朝日新聞 2000年1月26日 朝刊1面「天声人語」。(朝日新聞縮刷版 平成12年1月、1277頁)</ref><ref>{{Cite news
|title = え〜っ!沖縄で雪? 宮原さんがビデオ撮影
|url = http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-113837-storytopic-86.html
|date = 2000-01-18
|accessdate = 2011-08-10
|newspaper = 琉球新報
|pages = 朝刊・23 (本紙)
}} - 12月20日18時40分頃、沖縄県庁近く、[[パレットくもじ]]前広場での目撃談</ref>、公式な降雪記録とはなっていない。
 
{|class="wikitable" style="width:90%;margin:0 auto;font-size:small;text-align:center;white-space:nowrap"
|+沖縄県内各地の気象データ<ref>{{Cite web
|url = http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/select/prefecture.php?prec_no=91&prec_ch=%89%AB%93%EA%8C%A7&block_no=&block_ch=&year=&month=&day=&view=
|title = 気象統計情報
|publisher = 気象庁
|accessdate = 2012-01-09
}}</ref>
!rowspan="3" colspan="2"|平年値<br />(月単位)
!colspan="8"|[[沖縄諸島]]
![[大東諸島|大東<br />諸島]]
!colspan="2"|[[宮古列島|宮古諸島]]
!colspan="6"|[[八重山諸島]]
|-
!colspan="5"|[[沖縄本島]]
!rowspan="2"|[[伊是名島|伊<br />是<br />名<br />島]]
!rowspan="2"|[[渡嘉敷島|渡<br />嘉<br />敷<br />島]]
!rowspan="2"|[[久米島|久<br />米<br />島]]
!rowspan="2"|[[南大東島|南<br />大<br />東<br />島]]
!rowspan="2"|[[宮古島|宮<br />古<br />島]]
!rowspan="2"|[[多良間島|多<br />良<br />間<br />島]]
!colspan="2"|[[石垣島]]
!colspan="2"|[[西表島]]
!rowspan="2"|[[波照間島|波<br />照<br />間<br />島]]
!rowspan="2"|[[与那国島|与<br />那<br />国<br />島]]
|-
![[国頭村]]<br />奥
![[名護市]]
![[金武町]]
![[那覇市]]
![[南城市]]<br />糸数
!登野城
!伊原間
![[祖納 (竹富町)|祖納]]
![[大原 (竹富町)|大原]]
|-
!colspan="2"|[[ケッペンの気候区分|気候区分]]