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== 経歴 ==
=== メジャー時代 ===
{{by|1996年}}、[[1996年のMLBドラフト|MLBドラフト]]7巡目(全体199位)で[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]に入団。{{by|2000年}}[[8月31日]]の[[タンパベイ・レイズ|タンパベイ・デビルレイズ]]戦で[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]デビュー。
 
{{by|2003年}}のシーズン途中、[[ロサンゼルス・ドジャース]]に移籍。
 
[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]では、通算75試合登板、4勝5敗、[[防御率]]4.66という成績を残し、{{by|2004年}}に[[横浜ベイスターズ]]に入団。<br />同年はシーズンを通して先発ローテーションを守り、[[セドリック・バワーズ]]、[[吉見祐治]]と並ぶチームトップタイの7勝をあげる活躍を見せたが、シーズン終了後に退団した。
=== 日本時代 ===
{{by|2004年}}に[[横浜ベイスターズ]]に入団。同年はシーズンを通して先発ローテーションを守り、[[セドリック・バワーズ]]、[[吉見祐治]]と並ぶチームトップタイの7勝をあげ[[規定投球回]]に到達する活躍を見せたが。安定感なかったことからシーズン終了後に[[戦力外通告]]を受け退団した。
 
{{by|2005年}}、シーズン中に[[読売ジャイアンツ]]に入団。駒不足に悩む投手陣の中で救世主と期待され古巣横浜相手に初[[完封]]も記録したが、突如崩れるケスも目立ち中継ぎに配置転換されるこズン全体の成績は下記[[#年度別投手成績|年度別投手成績]]のもあった。最終的に22試合おり6勝8敗・防御率6.22と投球回数も100を超えず期待に応えたとは言い難かった。オフ戦力外通告を受け退団した。
 
=== 巨人退団後 ===
 
{{by|2006年}}は、[[アトランタ・ブレーブス]]傘下のAAA級[[リッチモンド・ブレーブス]]でプレーした。