「武公 (宋)」の版間の差分

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'''武公'''(ぶこう、? - [[紀元前748年]])は、[[春秋時代]]の[[宋 (春秋)|宋]]の君主(在位前766年 - 前748年)。姓は子、名は司空。[[戴公 (宋)|戴公]]の子。戴公の後をうけて宋国の君主となった。
 
在位中に鄋瞞([[狄|長狄]]の鄋瞞一支族の国)軍の侵入を受け、司徒の皇父充石に軍を率いて迎撃させた。耏班が皇父充石の兵車を御し、公子穀甥が車右をつとめた。司寇の牛父が駟乗となった。宋軍は長丘で鄋瞞軍を破り、長狄鄋瞞の縁斯を捕らえた。皇父充石穀甥・牛父その二人の子はこのとき戦死した。武公は生き残った耏班に城門の関税徴収権を賞与したので、その門は耏門と呼ばれた。
 
武公の公女は、[[魯]]の[[恵公 (魯)|恵公]]の夫人となり、[[桓公 (魯)|桓公]]を生んだ。