「1962年イタリアグランプリ」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
39行目:
[[1961年イタリアグランプリ|前年]]の大惨事によりバンク部分の使用を取りやめ、ロードコースのみのレイアウトでレースは行われた<ref name="F1Zenshi1961-1965P36">{{Harv|林信次|1997|p=36}}</ref>。
 
[[ジム・クラーク (レーサー)|ジム・クラーク]]は[[ポールポジション]]からスタートしたが、[[チーム・ロータス]]は既にギアボックスを使い切ってスペアパーツが枯渇してしまい、大きな不安材料となってしまった。その不安は当たり、クラークはトランスミッションのトラブルを抱え、12周目にリタイアした<ref name=IMS1062>{{Cite magazine2 | ref = IMS10 | title = Skyfall över Tysklands GP |trans-title=Deluge on German GP | page = 4 | language = Swedish | editor-last = Björklund | editor-first = Bengt | location = Lerum, Sweden | magazine = Illustrerad Motor Sport | number = 10 | date = October 1962 }}</ref>。チームメイトの[[トレバー・テイラー]]も同様のトラブルで25周でレースを終えた。[[グラハム・ヒル]]はチームメイトの[[リッチー・ギンサー]]に30秒近い差を付けて優勝した。ギンサーは[[ジョン・サーティース]]と2位争いを繰り広げたが、38周目にサーティースはスローダウンし、5周後にエンジントラブルでリタイアした<ref name=IMS1062/>。その後方では[[ダン・ガーニー]]の[[ポルシェ]]と([[ブルース・マクラーレン]]と[[トニー・マグス]]の[[クーパー・カー・カンパニー|クーパー]]2台によるバトルが繰り広げられ、40周目にはストレートで3台が並んだ。マグスは170[[リットル|L]](45[[ガロン]])の大型燃料タンクを装着していたマクラーレンとは異なり、燃料の補給が必要だったためピットインし、1周遅れの7位に終わった。一方、新しい通常のノーズ仕様の[[フェラーリ・156F1|フェラーリ・156]]を駆る[[ウィリー・メレス]]が3位争いに加わり、[[ヨアキム・ボニエ]]と[[ジャンカルロ・バゲッティ]]が続いた<ref name=IMSp5>[[#IMS10|''Skyfall...'']], p. 5</ref>。
 
ガーニーは66周目にリアディファレンシャルが壊れてリタイアし、地元ファンの声援を受けたバゲッティも一時はガーニーを抜いて3位を走ったが、スピンで順位を落としてしまう<ref name=IMSp5/>。しかし、ボニエのクラッチが滑り始めバゲッティは5位に順位を戻す。メレスは80周目に3位に浮上し、マクラーレンに3秒差を付ける。 スピーカーのタワーから見ていた[[スターリング・モス]]は、マクラーレンが3位に入ると賭けた。最終ラップの最初のカーブでマクラーレンはメレスを抜き、わずか0.4秒差で3位表彰台を獲得した<ref name=IMSp5/>。ボニエはクラッチトラブルで、5位のバゲッティを最後まで抜けなかった。メレスとバゲッティはこれがF1最後の入賞となった。[[フィル・ヒル]]はレース中盤で周回遅れにされ、エンジントラブルで長いピットストップを強いられ11位に終わった。[[リカルド・ロドリゲス (レーサー)|リカルド・ロドリゲス]]<ref>フェラーリが翌月の次戦[[1962年アメリカグランプリ|アメリカGP]]を欠場し、11月に行われた非選手権レースの[[メキシコグランプリ|メキシコGP]]で事故死したため、本レースが最後のF1世界選手権における出走となった。</ref>は油圧を失い、好走していた[[イネス・アイルランド]]もステアリングの不調でリタイアした。[[マステン・グレゴリー]]のマシンはオーバーヒートしてしまい、最終ラップは4速のみで走った。[[ロイ・サルヴァドーリ]]の[[ローラ・カーズ|ローラ]]は練習走行中に消火器が爆発するアクシデントがあった<ref name=IMSp5/>。