「リエック・マチャル」の版間の差分

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[[1997年]]、南スーダンの民族自決を合法化する内容を包括した[[ハルツーム和平協定]]が締結されると署名している。これによりマチャルは武装闘争派から「軟着陸」するとともに彼のグループもハルツームの政権に加わることが決定した<ref>[http://www.zoominfo.com/people/machar_riek_9899308.aspx Riek Machar]</ref>。1997年から[[2002年]]まで、[[南部スーダン国防軍]](SSDF、その後SSIM)の司令官となり、1997年8月7日から[[2000年]]1月31日まで、[[南部スーダン調整評議会]]議長兼スーダン共和国大統領補佐官を務めた。[[2005年]]8月11日から南部スーダン副大統領に就任し、2011年7月9日に南スーダン共和国として独立したことに伴い同国副大統領に就任した。
 
しかし、2013年7月にキール大統領により副大統領職を解任され<ref>{{cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/world/news/131222/mds13122218580002-n1.htm|title=南スーダン前副大統領「反乱軍は自分の指揮下」|newspaper=産経新聞|date=2013-12-22|accessdate=2014-04-18}}</ref>、同年12月にはマチャル支持派と政府軍の間で戦闘が勃発([[南スーダンクーデター未遂事件 (2013年)]])。周辺諸国の介入もあり2015年8月には両者が和平に合意、2016年4月にキールを引き続き大統領、マチャルを第一副大統領とする暫定政権が発足した(2013年より副大統領職を引き継いだ{{ill2|ジェームズ・ワニ・イッガ|en|James Wani Igga}}は引き続き副大統領のまま)。しかし和平は長く続かず、同年7月8日に両者が面会中に双方の警護隊が衝突したことをきっかけに再び両者の対立が激化し、7月23日にマチャルは第一副大統領を再び解任された<ref name=yomiuri20170427>{{Cite news|url=http://www.yomiuri.co.jp/fukayomi/ichiran/20170427-OYT8T50036.html|title=南スーダンの深刻な国内対立…自衛隊撤収後にできること|work=YOMIURI ONLINE|newspaper=[[読売新聞]]|date=2017-04-27|accessdate=2017-05-02}}</ref>。その後、キールに対する反政府勢力に武力闘争を呼びかけたことで和平を目指す周辺諸国からの顰蹙を買い、やむなく南アフリカに拠点を移している
 
2018年8月5日にスーダンにてキール大統領と統一政府樹立に合意。3ヶ月以内に発足する、3年間限定の移行政府の第1副大統領に就任することが決定した<ref>{{Cite news|url=http://www.afpbb.com/articles/-/3185031|title=南スーダン、統一政府発足で合意 内戦終結へ道筋|work=AFPBB News|agency=[[フランス通信社]]|date=2018-08-06|accessdate=2018-08-28}}</ref>。
 
== 脚注 ==