「関東大震災」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
70行目:
 
震災後日本で初めて[[ラジオ]]放送が始まった。避難の教訓からラジオは急速に普及し、国威発揚にも利用された<ref>平野聖; 石村眞一 『[http://sts.kahaku.go.jp/tokutei/pdfs/0411.pdf 大正・昭和前期における扇風機の発達]』 [[国立科学博物館#産業技術史資料情報センター|国立科学博物館 産業技術史資料情報センター]]、2004年。</ref>。
 
{{-}}
== 被害 ==
190万人が被災、10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったと推定されている(犠牲者のほとんどは東京府と神奈川県が占めている)。建物被害においては[[全壊]]が10万9千余棟、[[全焼]]が21万2千余棟である。東京の火災被害が中心に報じられているが、被害の中心は震源[[断層]]のある神奈川県内で、[[振動]]による建物の倒壊のほか、液状化による[[地盤沈下]]、[[崖崩れ]]、沿岸部では[[津波]]による被害が発生した。[[東京朝日新聞]]、[[読売新聞]]、[[国民新聞]]など新聞各社の社屋も焼失した。唯一残った[[東京日々新聞]]の9月2日付の見出しには「東京全市火の海に化す」、「[[日本橋区|日本橋]]、[[京橋区|京橋]]、[[下谷区|下谷]]、[[浅草区|浅草]]、[[本所区|本所]]、[[深川区|深川]]、[[神田区|神田]]殆んど全滅死傷十数万」、「[[電信]]、[[電話]]、[[電車]]、[[瓦斯]]、[[山手線]]全部途絶」といった凄惨なものが見られた。同3日付では「[[横浜市]]は全滅 死傷数万」、「避難民餓死に迫る」、4日付では「江東方面死体累々」、「火ぜめの深川 生存者は餓死」、「横浜灰となる あゝ東京」…などという見出しが続いた。
108行目:
 
この震災の記録映像として、記録映画カメラマン白井茂による『関東大震大火実況』が残されており、[[東京国立近代美術館フィルムセンター]]が所蔵している。その一部は同センターの展示室の常設展で見ることができる。また横浜シネマ商会(現:[[ヨコシネ ディー アイ エー]])の手による『横浜大震火災惨状』が、同社および[[横浜市中央図書館]]に所蔵されている。これ以外にも数本記録映画が存在しているが、オリジナルといえる作品は少ない<ref>[http://committees.jsce.or.jp/avc/system/files/jsce2014cs_avc_sakamoto_final.pdf 関東大震災記録映像「横浜大震火災惨状」について] - 土木学会</ref>。
 
=== 人的被害 ===
[[File:Tokyo Station police box The Great Kanto Earthquake of 1923.jpg|right|thumb|220px|震災直後、尋ね人のビラが貼られた[[東京駅]]警備巡査派出所(1968年解体、1972年[[博物館明治村]]に移築)]]
2004年(平成16年)頃までは、死者・行方不明者は約14万人と推定されていた。この数字は、震災から2年後にまとめられた「震災予防調査会報告」に基づいた数値である。しかし、近年になり[[武村雅之]]らの調べによって、14万人の数字には重複して数えられているデータがかなり多い可能性が指摘され、その説が学界にも定着したため、[[理科年表]]では、2006年(平成18年)版から修正され、数字を丸めて「死者・行方不明 10万5千余」としている<ref>[http://www.kajima.co.jp/news/press/200509/9a1fo-j.htm 鹿島小堀研究室の研究成果を基に、理科年表が関東大震災の被害数を80年ぶりに改訂]</ref>。{{-}}
 
[[File:Nebukawa Station earthquake passenger car left.jpg|thumb|right|220px|[[根府川駅]]から海中に転落した列車のうち、海岸に残った客車]]
地震の揺れによる建物倒壊などの圧死があるものの、強風を伴った火災による死傷者が多くを占めた。[[津波]]の発生による被害は太平洋沿岸の相模湾沿岸部と[[房総半島]]沿岸部で発生し、高さ10m以上の津波が記録された。山崩れや崖崩れ、それに伴う[[土石流]]による家屋の流失・埋没の被害は神奈川県の山間部から西部下流域にかけて発生した。特に[[神奈川県]][[足柄下郡]][[片浦村]](現、では[[小田原市]]の一部)の[[根府川駅#鉄道事故|鉄道事故]]ではその時ちょうど通りかかっていた列車が駅舎・ホームもろとも土石流により海中に転落し、100人以上の死者を出しさらにその後に発生し別の土石流で村の大半が埋没、100名の犠牲者を出した。{{Main|根府川駅列車転落事故}}
{{-}}
 
;====関東大震災により死去した著名人====
*[[寛子女王|寛子女王(閑院宮載仁親王第四王女)]]- [[小田原市|小田原]]・[[閑院宮]]御別邸へ避暑のところ、別邸が倒壊<!-- 宮号が付くのは当主である宮さま本人のみ -->
*[[師正王|師正王(東久邇宮稔彦王第二王子)]]- 避暑先の[[藤沢市|藤沢]]にある別荘が倒壊
134 ⟶ 132行目:
*[[梅垣直治郎]](元力士)- 死没地は不明、妻子とともに死亡したという。
*[[三遊亭花遊]](落語家、音曲師)- 死没地は不明。
*[[帰天斎小正一]](奇術師)- 被服廠跡で被災したという<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%B8%B0%E5%A4%A9%E6%96%8E+%E5%B0%8F%E6%AD%A3%E4%B8%80-1670998 新撰 芸能人物事典 明治〜平成]</ref>
*[[山田天心]]
*[[五明楼国輔]](落語家)- 諸説あり。
 
; ====関東大震災犠牲者の慰霊施設====
*[[東京都慰霊堂]](旧震災記念堂)身元不明の遺骨を納め死者の霊を祀る。1948年(昭和23年)より東京大空襲の身元不明の遺骨を納めその死者の霊も合祀している。
*[[「大正拾二年九月帝都震災殃死(おうし)者之霊供養碑」]] 東京大田区の[[池上本門寺]]境内。
[[File:Nebukawa Station earthquake passenger car left.jpg|thumb|right|220px|[[根府川駅]]から海中に転落した列車のうち、海岸に残った客車]]
 
=== 鉄道事故 ===
{{Main|根府川駅列車転落事故}}
[[神奈川県]][[足柄下郡]][[片浦村]](現、[[小田原市]]の一部)の[[根府川駅]]ではその時ちょうど通りかかっていた列車が駅舎・ホームもろとも土石流により海中に転落し、100人以上の死者を出し、さらにその後に発生した別の土石流で村の大半が埋没、数百名の犠牲者を出した。
=== 火災 ===
[[File:Robert L. Capp Great Kantō earthquake 7.jpg|thumb|right|220px|震災直後の被服廠跡地の避難民の遺体]]
150 ⟶ 151行目:
Great Kanto Earthquake10.jpg.JPG|丸善ビル
</gallery>
=== 建物の倒壊 ===
{{-}}
 
=== 建物 ===
[[File:Ryounkaku.jpg|thumb|right|180px|半壊した[[凌雲閣]]]]
東京市内の建造物の被害としては、[[凌雲閣]](浅草十二階)が大破<ref>[https://www.kajima.co.jp/tech/seismic/higai/030608.html 小破・中破・大破とは] 鹿島建設 日本建築学会「1978年宮城県沖地震被害調査報告」</ref><ref>岡田成幸、高井伸雄、[https://doi.org/10.3130/aijs.64.65_5 地震被害調査のための建物分類と破壊パターン] 日本建築学会構造系論文集 64巻 (1999) 524号 p.65-72, {{doi|10.3130/aijs.64.65_5}}</ref><ref>高井伸雄、岡田成幸、[https://doi.org/10.3130/aijs.66.67_4 地震被害調査のための鉄筋コンクリート造建物の破壊パターン分類] 日本建築学会構造系論文集 66巻 (2001) 549号 p.67-74, {{doi|10.3130/aijs.66.67_4}}</ref>、建設中だった[[丸の内]]の[[内外ビルディング]]が崩壊し作業員300余名が圧死した。また[[大蔵省]]・[[文部省]]・[[内務省 (日本)|内務省]]・[[外務省]]・[[警視庁 (内務省)|警視庁]]など官公庁の建物や、[[帝国劇場]]や[[三越|日本橋三越本店]]など、文化施設や商業施設の多くを焼失した。[[神田神保町]]や[[東京大学総合図書館|東京帝国大学図書館]]、[[松廼舎文庫]]、[[大倉集古館]]も類焼し、多くの貴重な書籍群や文化財が失われた。
171 ⟶ 170行目:
[[File:960SL buried at Sainome tunnel.jpg|thumb|220px|[[真鶴駅]]-[[根府川駅]]間の寒ノ目山トンネルで埋没した上り第116列車の牽引機関車]]
震央から約120kmの範囲内にあった国有鉄道の149トンネル(建設中を含む)のうち、93トンネルで補修が必要となった。激しい被害を受けたのは、熱海線(現在の[[東海道線]])小田原-真鶴間で、11本あるトンネルのうち7本に大規模な損傷がでる被害を生じた。地滑りや斜面崩落により坑口付近の崩落や埋没を生じたが、坑口から離れた場所でも亀裂や横断面の変形を生じている。深刻な被害を生じたのは、根ノ上山トンネル(熱海線:早川-根府川間)、与瀬トンネル(中央線:相模湖-藤野間)、南無谷トンネル(現在の[[内房線]]:岩井-富浦間)<ref>[http://library.jsce.or.jp/jsce/open/00037/2000/659-0027.pdf 山岳トンネルの地震被害とそのメカニズム]</ref>。
{{-}}
 
== 地震の混乱で発生した事件 ==
===司法・法制の動き===